黄昏のエポック - バイロン郷の夢と冒険

かわまりの読書ルーム II

【読書ルームII(121) 黄昏のエポック- バイロン郷の夢と冒険】

最終話 ギリシャに死す(一八二四年)およびあと書き等 2/5

 

ピエトロ・ガンバは涙でかき曇る目で父ガンバ伯爵に宛てて手紙を書き、バイロンの遺体をイギリスに搬送する費用負担を要請した。手紙の中でピエトロはこう書いた。
バイロン卿はヨーロッパ市民であり、世界市民(コスモポリタン)でした。しかし、バイロン卿はヨーロッパ市民そして世界市民である以前にイギリス人でした。僕たちは他人をよりよく理解する前に自分をよりよく理解しなければなりません。バイロン卿は優れたイギリス人であることによって優れたヨーロッパ市民、そしてすぐれた世界市民たりえたのだと思います。その証拠に彼は死ぬまで英語で詩を考え続けました。イギリスの議会政治を良く理解していたからこそ、彼は外国人でありながらイタリア統一運動やギリシア独立運動に参加することができたのです。どうか、彼の亡骸を故国イギリスに帰すことができるよう、お父様のご協力をお願いします。cv[3]」


バイロンの遺体に防腐処置が施されている間、ピエトロはジェノバで出会い簡単な会話しか交わすことのなかったバイロンの親友ホブハウスに宛ててバイロンの遺体到着後を依頼する手紙を書いた。言葉のことは構わず、ピエトロはイタリア語で自分の心情を吐露した。バイロンの姉オーガスタに簡単な英語で手紙を書くこともピエトロは忘れなかった。


一八二四年四月二十二日、折からの嵐でバイロンの葬儀は一日延長されたが、バイロン軍団の屈強なギリシア人たちによって担がれたバイロンの棺に多くのギリシア人とギリシア独立を願う人々が別れを告げた。


一八二四年五月二十五日、バイロンの死を悼む弔砲が轟く中、バイロンの棺とイギリスに帰るフレッチャー、付き添いのティタ・ファルシエリ、そしてピエトロによって丁寧に整理されたバイロンの遺品を乗せた船は地中海、そして大西洋に向けて出帆した。ピエトロ・ガンバは別の船でイギリスのリバプールで下船してリバプールからロンドンまで、バイロンが辿った道を確かめることに決めていた。兄であり師であり、姉が愛したバイロンの棺を乗せた船を見つめながらピエトロ・ガンバはまだ見ぬ霧の国イギリスと言葉が異なる義兄ホブハウスとの再会に想いを馳せた。ピエトロは思った。
バイロン卿の詩句を胸に、バイロン卿の遺志を継いで行動すれば、バイロン卿は僕らの中で生きているのと同じだ。」


 


付記

当初から攻撃目標も運動の中心も定かでなかったギリシア独立戦争バイロンの死後まもなく、トルコのスルタンの要請によってエジプトから大軍を率いて赴いたモハメッド・アリ・パチャによっていとも簡単に鎮圧された。しかしその後、一八二七年に英仏露の連合艦隊がモハメッド・アリ・パチャの艦隊をナバリノの海戦で破って戦局をギリシア独立派に有利に導き、一八三○年、ロンドン条約によって終に現在のギリシアの南半分がトルコの支配から独立することになった。ギリシア独立の背景に、ギリシア独立支援基金を設立したホブハウスら、イギリスの人々の熱い努力とギリシア独立を支援する西欧世界での世論の盛り上がりがあったことは確実である。

 

バイロン夫人アン・イザベラ・ノエル・ミルバンク(通称アナベラ・ミルバンク)はその後二度と結婚せず、慈善事業と娘エイダの訓育に没頭し、一八六○年に六十七歳でこの世を去った。彼女はバイロンとの別離については亡くなるまで一切を語らなかった。バイロン夫人は若い頃から知性を誇っていた反面、その容姿にはとりわけ人目を引くところはなかったようである。バイロンとの別離後は急速に老け込んで亡くなるまで実際の年齢よりも遥かに年老いて見えたという。彼女の思惑については様々な憶測がなされ、アメリカ人の作家で「アンクル・トムの小屋」を執筆したストウ夫人などが彼女についてのエッセイを執筆している。なお、バイロンバイロン夫人の姓と名の間に「ノエル」というミドル名が記されることがあるが、これはバイロン夫人の母方の伯父であるノエル子爵が爵位を継げる男児を残すことなくバイロン夫人の父であるミルバンク男爵に自分の死後に莫大な財産とともに爵位を引き継いで欲しいと遺言を残したからである。バイロンとアナベラは法律上は生涯夫婦だったため、バイロンは正式にはノエル子爵となってイタリア在住中にアナベラの母が死去した後は同子爵家の財産のかなりの部分を自由に使えるようになった。第ニ話 優しき姉よ の主人公。


バイロンの娘エイダは高名な父の影響と教育熱心な母の努力によって知的に育ったが、思春期には父母をめぐる複雑な思いから神経症に悩まされた。彼女は幼少期から両親から受け継いだ知性と父に生き写しの輝く美貌を持ち合わせていた。母アナベラはエイダが詩に関心を持つことを極端に嫌がったがエイダは数学に詩を感じ、科学技術に深い関心を寄せながら成人し、十九歳の時にラブレース伯爵と結婚、三児の母となった後も研究を続け、とりわけ分析機(Analytical Engine)と呼ばれる現在のコンピューターの前身に大きな関心を抱いた。人間の頭脳に取って替わる分析機の完成には、機械そのものの開発と並んで、機械に動きを指示するしくみ、すなわちプログラミングの開発が並行して行われなければならないという彼女の主張は、現在のコンピューター・サイエンスの基礎をなしている。エイダは一八五二年に父バイロンの享年とほぼ同じ三十七歳の若さで亡くなり、生前からの遺言通り、父の墓の隣に葬られた。

ラブレース伯爵夫人オーガスタ・エイダ・キング (ウィキペディア)


ジョン・カム・ホブハウスは親友バイロンの遺志を継いで進歩(ホイッグ)党の政治家として数々の社会改革を手がけ、自らが所有する領地や生産設備の生産性を高めて小作人や従業員の福利厚生に手厚く気を配り、それらの功績によって男爵の称号を授与された。MP(国会議員)にも複数回選出され、進歩(ホイッグ)党内外の多くの政治家から尊敬を集めた。第三話 ため息橋にて第四話 青い空、青い海第六話 若き貴公子第七話 レディー・キャロライン に登場する。バイロンとはバイロンが17歳でケンブリッジ大学に入学して以来、政治思想や文学を共にする友人だった。

 

(読書ルームII(122) に続く)