黄昏のエポック - バイロン郷の夢と冒険

かわまりの読書ルーム II

【読書ルームII(90) 黄昏のエポック- バイロン郷の夢と冒険】

第七話 レディー・キャロライン (一八一二年初-一八一四年、イギリス  9/16)

 

「僕はウィリアム・ラム卿と進歩(ホィッグ)党の評判だけは絶対に傷つけたくない。だから僕のほうから彼女に話しかけたり手を出したりはしていない。」
「それだけで済むのかな・・・。」とホブハウスは言った。「君が徹底的に彼女を拒絶しない限り、彼女は君を追いかけ続けるだろう。政治に野心があるのなら、彼女の気持ちなど考える必要はない。決然とした態度を取らなければだめだ。何と言っても否は彼女のほうにあるんだから・・・。」
バイロンは考え込んだ。ラム夫人が自分に対する常軌を逸した行動を止めさえしてくれれば、「ハロルド卿の巡礼」にこれほど共感してくれたラム夫人の自由に対する渇望や社会の虚偽に対する挑戦は尊重すべきだとバイロンは考えていた。バイロンが黙っているのでホブハウスが言った。
「ウィリアム・ラム卿の奥方だから彼女を丁重に扱わなければいけない、彼女の身分のせいで誘惑をきっぱりと断ることができない、なんていうんだったらとんでもない間違いだぞ。ラム卿のような立派な男と結婚できたのに、そのラム卿を裏切って君を追いまわすなら、もはやラム夫人をラム卿の奥方として尊敬する必要はないんだ。そりゃ、君の作品を読んで感激し、君に好意を持つことを誰だって止めはできない。しかし、ものごとには節度がなければいけない。」
「僕は節度を保っているつもりだ。」とバイロンは言った。
「君が節度を保っているだけではいけない。君がラム夫人に節度を保たせなければならないんだ。」
ホブハウスがこう言い、バイロンは「考えてみるよ。」と言って二人は黙って食事を口に運んだ。
アイルランドカトリック教徒の現状についてわかったことを教えてくれないか?」とバイロンは話題を変えた。
「そりゃひどいもんだ。」とホブハウスが言った。「僕はアイルランドでファーン僧正と知り合いになったが、僧正が言うには、カトリック教徒が礼拝所として使用している納屋が閉鎖されたり、カトリック教徒を殺して一度は有罪になった新教徒が釈放されたり、カトリック教徒に対する弾圧は秩序の維持のために宗教を統一しようなんていう古臭い考えを通り越して・・・。」
ホブハウスがここまで話した時にアパートの玄関の扉が開く音がし、誰かが勢いよく部屋に飛び込んできた。飛び込んできたのは小姓の格好をしたラム夫人だった。ラム夫人はホブハウスと向かい合って一緒に食事をしているバイロンに向かって叫んだ。
「私を何とかして!」
バイロンは立ち上がると首からナプキンを取って食卓に叩きつけた。自分のほうに歩み寄ったバイロンを見てラム夫人はたじろいだ。バイロンは怒鳴った。
「何とかしてほしいというのはどうしてほしいということなんだ。」
ラム夫人はバイロンには答えず、いきなり身を翻すと二階へ駆け上がった。
「しょうがないなあ・・・。」バイロンがこう言ってびっこを引きながら歩き出した時にはホブハウスも首からナプキンを取って立ち上がっていた。
バイロンがびっこを引きながらラム夫人の後を追うとラム夫人はバイロンの寝室に飛び込んだ。
「出てきなさい。」とバイロンは寝室の入り口でバイロンのベッドの上に腰掛けたラム夫人に向かって言った。
「いやよ。」とラム夫人は突っぱねた。
「ここは僕の寝室だ。」とバイロンは言って階段のほうを向くとホブハウスがゆっくりと階段を上がってくるところだった。
「二人だけで話をしよう。友達に修羅場を見られたくないんだ。」
バイロンはこう言うと部屋の中に入って扉を閉め、閂をかけた。ホブハウスが扉の外に来て立ち止まった気配がした。
「さあ、何とかして欲しいというのはどうして欲しいということなのか話してみなさい。僕にはどうせ何も出来ないと思うけれど・・・。」
ラム夫人はバイロンには答えずにいきなり小姓の服の上着を脱いだ。
「止めなさい。二人だけで話しをするために扉を閉めたんだ。落ち着いて話をしないのならつまみ出すぞ。」
ラム夫人はシャツのボタンをはずし始めた。外でホブハウスが扉を叩いた。
「扉を開けろ。」とホブハウスが扉の外で怒鳴った。

「いや、今ちょっと扉を開けるわけにはいかないんだ。」バイロンがこう言ううちにラム夫人はコルセットの紐をはずし始めた。
「開けなければ扉を蹴破るぞ。」とホブハウスがまたわめいた。
「いや、今はちょっとまずいからほんの少しだけ待ってほしんだ。すぐに開けるから。」
「隠れたお楽しみに必要なのは一時間か、二時間か?」
「おい、ホブハウス。僕が君を食卓の前にほったらかしにしたまま、勝手に押しかけてきた人妻と二人で寝室に入ってうじゃじゃけたりするとでも思っているのか?」
「そうでないなら今すぐに扉を開けろ。」
ホブハウスとバイロンの両方が一瞬黙った。両方共に相手が興奮して肩で息をしているのを扉越しに感じた。バイロンが振り返るとラム夫人は上半身裸になって枕を抱いていた。
「いいか。」とホブハウスが扉越しに言った。「実は君には言わなかったことがある。言う必要がないと思ったから黙っていた。ベスボロー夫人に会う機会があって頼まれた。」
「ベスボロー夫人って、キャロの母親のヘンリエッタ・ベスボローのことか?」
「そうだ。彼女に君とラム夫人を引き離すように頼まれた。彼女は最近体が弱っているが、娘がやっていることを見聞きするにつけ、死んでも死にきれない思いになると僕に告白した。僕は君には責任がないということを何とか彼女にわからせようとした。でも彼女だって、ラム夫人がウィリアム・ラム卿の妻の座におとなしく納まってくれることを願い、母親として八方手をつくしたんだ。でもどうしようもなかった。だから彼女は僕に懇願したんだ。僕もできるだけのことはすると約束した。だから扉を開けろ。なあ、バイロン。君はラム卿の評判を傷つけたくないと言ったが君の熱心なファンで君の詩の愛読者であるラム夫人も傷つけたくない。そうだろう。でも、このままだとラム卿の評判だけではなくて君の評判も台無しだし、ベスボロー夫人やメルボルン夫人を悲しませ続けることになる。ラム夫人がわがままをやめればそれで全てが解決するんだ。なあ、そうだろう。扉を開けろ。」

(読書ルームII(91) に続く)