黄昏のエポック - バイロン郷の夢と冒険

かわまりの読書ルーム II

闇のくまさん泣かないで(その2)

そうこうしているうちに参議院選が終わりました。結果は安倍さんの事件が起きる前からの予想と大差がなかったですが、惜しむらくは投票率がもう少し高かったらと思います。まあ、期日前投票が増えたのは関心の高さの反映ですが、猛暑のせいで投票所に行かない人が増えて相殺されてしまった気がします。わたしみたいに涼しい朝のうちに済ませようと前日に目覚まし時計をセットするが有権者は少数派かもしれませんね。

 

「黄昏のエポック」でわたしが表現したかったことの一つに表現者の魂が死後も不滅で作品に接する人々と生前抱いていた理念を共有するということでがあります。バイロンの学生時代からの朋友であるジョン・カム・ホブハウスにわたしは「第六話 若き貴公子」の終わりのほうで「議会は僕の太陽だ。」と言わせました。この発言自体はわたしの創作ですが、男爵家の当主として何の努力も無しに貴族院議員の地位につけるバイロンに対して熱心にホイッグ党への入党を勧めたホブハウスが文字通りではなくても同様のことを考えていたことには疑う余地がありません。これに対してバイロンは一旦は決定を保留し、代わりに若干二十歳の若さで "English Bards and Scotch Reviewers (イングランドの詩人とスコットランドの批評家) " を発表して言論の自由を全面的に讃え、ホブハウスとの二年近くの長きに渡った卒業旅行(グランドツアー)を終えた後に鋭意政治活動を開始しました。二十代後半の若き政治家バイロンが手がけたのはアイルランドカトリック信者らに関わる信教の自由の問題から産業革命期の囲い込みによって生じた失業問題や工場労働者の待遇などがありますが、その後私生活上のスキャンダルによってイギリス政界を去った後、バイロンは自己の精神に沈潜する内省とナポレオン失脚後のヨーロッパ大陸の現状の見聞とによって数々の傑作を生み出していき、これらの作品は全て、現在のウクライナやロシアの脅威に怯える北欧と東欧のNATO加盟国の歴史認識と重なります。惜しむらくはわたしの英語力の不足のせいでこれらの作品の行間を読み込んで和訳することは到底無理です。なお、バイロンの親友ホブハウスは熱心な選挙運動が実ってイギリス下院議員(日本の衆議院)の議員となり、後には所有する農地や工場の労働者の福祉に尽くした功績によって貴族に列せられ、かたやギリシャ独立のために義勇兵として現地に赴いたバイロンの後方支援のために設立したギリシャ独立支援基金を運営しました。ホブハウスの中でバイロンの詩句とともにバイロンの理念は生き続け、19世紀後半のイギリスの議会制度の下で花開いたのです。

 

表現の人バイロンが抱いた理念は現代において様々な理念を抱いて活動する人々と共有されています。行動の人であり、死後には言論の自由の守護神になられた安倍元首相の理念も現世で行動し、理念を表現する人々に共有されていくでしょう。(以上)

 

 

 

闇のくまさん泣かないで。

闇のくまさん(https://youtu.be/XltGbxSUNQ0)、【安倍さんのいない世界で僕たちは生きて行く。頑張ろう。】って、勇ましいタイトルの動画をアップしたけれど、終わりのほうでやはり泣いちゃったね。今は泣く時かもしれない。喋るよりも書くことが好きで友人を含む公の場では涙無しのわたしだって、ワープロを叩きながら目から涙が溢れることがあるんだから⋯。でも、新しい参議院議員が国会に集まる時迄だよ。だって、安倍さんの理念は日本国民の一人一人の中で灯火になったり、反対意見がある日本人の中では反芻されて新しい日本を作る階段のステップになったり、みんなの心がそうやって築かれる階段の一段一段を照らす光になるんだもの⋯。だから安倍さんは今回の事件で心を動かされた一人ひとりの日本人の心、いいや、良心があってこの事件の情報に接することができた世界中の人々の中で生きているのと同じなんだから。一人一人の心の中では灯火の明るさでも安倍さんの周囲に居た志を持った政治家の中からは独裁政治や人権と言論の自由に対する抑圧を地上から払拭する業火に火をつける人がきっと出てくるからそういう人を探し出して政府に送り出さないといけないんだ。

 

安倍さんが倒れたのが選挙演説中だったというのは象徴的な出来事だったのかもしれない。このことによって安倍さんは日本風に言えば正に言論の自由の守護神になったようなものなんだもの。わたし達日本人がその価値を信じて疑わない言論の自由がまさか一人の狂っているとしか思えない男の暴力によって破壊されるとは誰も予測出来なかったけれどね。

 

さて、最近「プロメテウス」のほうをアマゾンお任せ出版をそちらのブログで宣伝してそちらに関わったり、もう始まってしまった猛暑に辟易したかと思えば電力需給逼迫やらウクライナ戦争による天然ガスの需給の逼迫など、原子力開発に関心を持っているわたしとして看過出来ない事態に上記の作品の出版を急がないといけない事態の中、ロマン主義を基調としているこちらのほうのブログに安倍元首相の死去に伴う感想のような内容を掲載したくなったことには当然ですがこちら「黄昏のエポック」を全文掲載したブログのテーマと切っても切れない理由があります。それは端的に言って、志半ばに倒れた人の無念をどう晴らすか、またわたし達人間はなんらかの意識を共有しながら生きていけるのだろうかという問いに基づいています。また、安倍前首相の死去に先立って埼玉県で起きた訪問医師の散弾銃による殺害事件という事件もありました。何かに突き動かされるかのように献身的に働いてきたこの医師の死の報道に接した時、わたしは「人間って蟻みたいだ。」と思ったのです。殉職したに等しいこの医師の無念を晴らすためには医師やその他の医療の資格を持つ者が同医師が担当していた患者を分担してケアに勤める以外道は無いのです。そして今回の安倍元首相の死はわたしたちの信念に火をつけ、わたしたち一人一人が安倍元首相の信念を共有することによって彼の死を死でなくし、彼の存在を永遠のものにすることができるのです。

 

本作品の最終話でイギリス人のバイロン男爵の死を看取ったイタリア人伯爵令息のピエトロ・ガンバにわたしは「バイロン郷の詩句を胸に、バイロン郷が望んだように行動すれば、バイロン郷は僕らの中で生きているのと同じだ。」という感慨を吐露させました。2人はギリシャオスマン帝国から独立させるための外国人義勇軍を組織して戦闘に参加しているところでした。そして、バイロンの故国イギリスこそ当時は議会制民主主義や現代の先進国の人々が規範にしている人権や自由の思想が浸透してそれらを守るための制度が構築されようとしていましたが、一方のピエトロ・ガンバの国イタリアはルネサンス以来分権国家の中で育ってきた商工業が強大な力を振うオーストリアに征服され、オーストリアによる搾取の只中にありました。イギリス人とイタリア人の2人の貴族は他国に奪われたギリシャとイタリアの主権をどうにかして回復して自由と法の支配の上に成り立つ国家を成立させようとしたのです。

(続く)

 

 

黄昏から暗闇に、そして黎明から今日へ

日本では何年かぶりの総選挙が先週行われて戦後史上最低の投票率が記録されました。投票率についてはあれやこれや言うことはありません。自分の一票が国政の方向を決定すると思う人はいないしいたら少し頭がおかしいでしょうが、一方で「自分の一票が民意の一部を形成することはわかっちゃいるけれど面倒くさい。」と思うことはごく自然で。もっと言うならばこういう人たちは自分を含めた大勢の人々の集合意識を信頼していて自分一人が棄権しても結果の大勢は変わらないと信じているのでしょう。

 

さて、「黄昏のエポック」はナポレオンがフランス革命の理想を掲げてヨーロッパ大陸を席巻した後、理想の実現を楽天的に信じる真昼の時代からウィーン反動体制による翳りとそれでも情念の上だけで希望が燃え盛る黄昏の時代を生きたイギリス人詩人のジョージ・ゴードン・バイロンを描いた時代小説です。

 

巻頭の書き出しからは主人公のバイロンが離婚のゴチャゴチャを紛らわすために自分のファンの少女を妊娠させてしまい、しかもやはり自分を慕う駆け出しの詩人シェリーとの仲を疑うという極めて個人的な問題を書き連ねる小説だと思われる読者が多いと思います。それはひとえにわたしの文筆力の未熟によるものであって、「第七話 レディー・キャロライン」の巻頭の演説文の訳が示すようにバイロンは一時期政治にも多大な関心を持っていました。

黄昏のエポック これからどこへ?

作品目次

 

編集が済み次第、アマゾンから電子出版します。出来れば今年中に本ブログで発表した本作品ともう一つの作品の発表を完了したいと思います。わたしがこの二作品の全文を公開した意図の根底にはある強いこだわりがあります。それは英米を中心として始まった Project Gutenberg と呼ばれる著作権消滅作品の電子化プロジェクトへの強い関心と支援の気持ちです。

 

折しも、自民党総裁が交代し、閣僚、特にレジ袋有料化を始めた例の大臣が退任し、環境への貢献は微細かほとんどないと思われるレジ袋政策そのものはしばらく続くと思われますが、読書文化を大切にし、国土の大半を森林が占めているわたしたち日本人には石油の余りや石油製品の屑を節約するよりももっと重要な使命があります。それは電子書籍を一般化し、著者と読者の対話を進めて改訂を容易にし、既に作品を購入した読者が改訂電子版を容易かつ無料で入手できるようにすることだとわたしは固く信じています。もちろんこれは従来の紙に印刷された本の存在を否定するものではありません。それどころか優れた書籍が全国津々浦々の図書館で愛読されることが益々盛んになるようわたしは願っています・

 

書籍はマーケティングが非常に難しい商品です。そして一つ一つの作品が著者の存命中に著者とともに成長し、進化していくことが必要だと思うのです。そしてそれを容易にするのはもちろん電子化です。単なる森林資源の節約を超える恩恵を Project Gutennberg (日本版: 青空文庫)はもたらしてくれたと思います。一人一人の著述家がもうひと頑張りして著作権保護やより良い電子書籍リーダーの開発に働きかけていくことで著作権フリーの書籍の電子化はかつてグーテンベルクが達成した印刷術の発明に匹敵する人類の大きな飛躍を達成できるとわたしは信じています。

 

二作品の電子出版を完了した後にこのブログをどうするかですが、もちろん残します。ブログと電子書籍の違いは明らかです。当然のことながら電子書籍の方が読みやすいです。一方でブログは改訂しやすくコメント欄を使った双方向性もあります。また、ブログはインターネットに常時接続しているので作品に書ききれなかった内容を深く説明しているサイトに読者を誘導することも容易です。まあ、いろんな面での二つのメディアの可能性を探っていくこともわたしの使命であるとも心得ています。

 

さて、この作品「黄昏のエポック 〜 バイロン郷の夢と冒険」は電子書籍の内容を全て掲載していますが電子書籍には無い内容としてこれから日本が迎える政治の季節(任期満了に伴う衆議院選挙と参議院選挙)に絡んでイギリス人の詩人バイロンがナポレオンの凋落後に思い描いた理想とウィーン反動体制に対する幻滅とそれに抗おうとする足掻きを作品の輪郭をなぞるように説明しつつわたしたち日本人の自由と民主主義を謳歌できる幸せとイギリスのように信頼するに足る野党を持たない悲しみ😅を語ってみたいと思います。

 

川本真理子

黄昏のエポック(目次)

目次

 

第一話 レマン湖の月 (1816年夏 スイス )

第二話 優しき姉よ (1814年 ~ 1816年春 イギリス) 

第三話 ため息橋にて (1816年秋-1818年初、イタリア)

第四話 青い空、青い海 (1809年夏 ~ 1811年秋 ポルトガル→スペイン→アルバニアギリシア→トルコ→ギリシア→イギリス)

第五話  小公子1798年夏 ~ 1802年夏 イギリス)

第六話 若き貴公子 (1805年夏 ~ 1809年夏 イギリス)

第七話 レディー・キャロライン (1812年 イギリス)

第八話 暴風雨 (1818年 ~ 1822年 イタリア)

第九話 スコットランドの荒野にて1798年夏 イギリス)

最終話 ギリシャに死す(1824年)

 

 

目次(歴史的時系列)

 

第九話 スコットランドの荒野にて1798年夏 イギリス)

第五話  小公子1798年夏 ~ 1802年夏 イギリス)

第六話 若き貴公子 (1805年夏 ~ 1809年夏 イギリス)

第四話 青い空、青い海 (1809年夏 ~ 1811年秋 ポルトガル→スペイン→アルバニアギリシア→トルコ→ギリシア→イギリス)

第七話 レディー・キャロライン (1812年 イギリス)

第二話 優しき姉よ (1814年 ~ 1816年春 イギリス) 

第一話 レマン湖の月 (1816年夏 スイス )

第三話 ため息橋にて (1816年秋-1818年初、イタリア)

第八話 暴風雨 (1818年 ~ 1822年 イタリア)

最終話 ギリシャに死す(1824年)

 

 

【読書ルームII(124) 黄昏のエポック- バイロン郷の夢と冒険】

最終話 ギリシャに死す(一八二四年)およびあと書き等 5/5

 

付記2 (史実との異同)

 

本作は歴史小説ではあるが、史実をできる限り詳細に写すことが目的ではなく、ナポレオン失脚後のヨーロッパを生き抜いた詩人の模索を綴るために「夢」という形を取ったものである。従って中には史実を大幅に逸脱している箇所やフィクションもある。史実との異同は最後に掲げるとして、物語とは別に現代の視点から特記したいことにバイロンの故国イギリス以外で彼が関わったり見聞したりした国々の現在の様子である。折しも数日前に東京2020年オリンピックが閉幕したが、イタリアの陸上選手の活躍は目覚ましく、男子走り幅跳びや100メートル走でイタリア人が金メダルを獲得した。イタリアではバレーボールやサッカーなどの団体競技も盛んで競技人口が多く、オリンピックや国際大会において優秀な成績を収めることが多いが、イタリア人たちは1871年の統一なしにこれらの快挙を成し遂げることができただろうか? またギリシア古代オリンピック競技会を開始した栄光の国として四年に一度のオリンピックで必ず真っ先に会場に入場する国であるが、ギリシア人がトルコの支配下にあったままでこの栄光が果たしてギリシア人に与えられていたであろうか? 一方、スペインがカトリック教徒を軸にした民族主義に目覚めたのは歴史を遡って1492年の国土回復以前であり、だからこそ19世紀初頭のナポレオン侵攻の際にバイロンと親友のホブハウスが目撃しフランシスコ・ゴヤが銅版画に留めたような激しい抵抗活動をスペイン人たちは行ったのであるが、これはナポレオンが掲げた「自由、平等、博愛」の理念が間違っていたからではない。この事実はむしろ、いかなる理念も対話の中で磨かれ、人々の日常生活の中でどう生かされるかが論じられてこそ価値があるという真理の証である。このような理由からナポレオン失脚後の西欧にはロマン主義に通じる理念と共に民族主義の嵐が吹き荒れたのである。イギリスで演説者として議会に立ったことがあり、英語を駆使する上での言葉の魔術師であり、古典語を含むヨーロッパの数カ国後に通じていたバイロンは理念と理念の資金石たる民族主義とそれを支える議会制民主主義などとの制度に同時代人の誰よりも精通していたはずである。そしてバイロンの夢想の全てとは言わないが大半は多くの人々の努力によって今日では実現されているか実現されつつあると筆者は信じたい。

 

史実との異同

第一話. レマン湖の月 (1816年夏 スイス )
・ ポリドリをバルコニーから飛び降りさせたのはバイロン
ジュネーブ湖畔で四人の間で語られた話は全て、怪奇小説集「ファンタスマゴリア」に類似した怪奇物語だったが、このうちで世界文学に題名を留めたのはもちろん、メアリー・ゴッドウィン・シェリーの「フランケンシュタイン」でバイロンが考えた吸血鬼の物語をポリドリが受け継いで完成させた。パーシー・ビッシュ・シェリーが語った話については内容不明なので虚構である。
第二話 優しき姉よ (1814年 ~ 1816年春 イギリス)
・アン・イザベラ・ミルバンクが女学校時代の親友エスターに送った手紙はすべて虚構。またバイロンとの別離の理由については憶測がなされているだけで今もって不明である。本挿話は死に瀕した人間は自分と関わった人間の意図や隠された本心をある程度知ることができるというわたしの勝手な思い込みに基づいている。

バイロンと異母姉のオーガスタ・リーと関係はウィキペディアに記載されているほど道徳的にセンセーショナルなものではないと筆者は信じている。若い頃から相当の年齢に至るまで王族の相談相手を務めたというオーガスタの経歴が彼女の聡明で安定した人格を証明している。

第三話 ため息橋にて  (1816年秋-1818年初、イタリア)
・ この章には大幅な脚色がほどこしてある。バイロンとホブハウスは十一月十日にヴェニスに到着したが、ホブハウスは十二月三日にローマに向けて旅立ち、クリスマスからカーニバルの季節にかけてはバイロンと生活をともにしていない。ただし、伝えられているホブハウスの人柄、バイロンとの関係、「ハロルド卿の巡礼 第四巻」がホブハウスに捧げられている事実などから、傷心のバイロンを慰め、創作意欲を回復させるためにホブハウスが多大な努力を払ったことは間違いない。
バイロンとパン屋の妻マルガリータ・コグニとの関係はローマ旅行の後で生じ、バイロンはラ・ミラの別荘にマルガリータ・コグニを伴ったらしいが、ストーリーを単純にするためにその事実は省き、マルガリータ・コグニの名前だけを借りた。
バイロンヴェニスフリーメーソンとの関連を裏付ける確証はないが、「ベッポー」の第三節の最後に “Freethinker”という言葉が用いられている。
第四話 青い海、青い空  (1809年夏 ~ 1811年秋   ポルトガル→スペイン→アルバニアギリシア→トルコ→ギリシア→イギリス)
・ フランシスコ・ゴヤバイロンと同時代人でマドリッドを中心に活躍した画家だが、アンダルシア地方も頻繁に訪れている。出生地はスペイン北部のサラトガで、この地の商人はフランス語が堪能だったはずである。ゴヤはこの地の幼馴染の商人と深い親交があった。バイロンとホブハウスがゴヤの使者に出会ったというエピソードはもちろん虚構である。
バイロンが「ハロルド卿の巡礼第一巻、第二巻」に着手したのは一八一九年十月、アルバニアにおいてであるが、正確な日付には本人とホブハウスの記述に二、三週間前後の異同がある。しかし、ジトラの悪天候の中でバイロンがホブハウスとはぐれた後に本腰を入れたと考えるのは自然であろう。バイロンはこの時にホブハウスに従ってジョン・エーデルトンを歌った詩稿を破棄したしたことを一生後悔した。
・ ホブハウスとアン・エーデルトンからの手紙は内容を推測したものであるがエーデルトンとマシューズ、加えてバイロン自身の母のこの時期の死は全て事実である。
第五話(小公子)(1798年夏 ~ 1802年夏 イギリス)、第六話(若き貴公子) (1805年夏 ~ 1809年夏 イギリス)
バイロンの幼少期と青年時代初期に関しては詳らかでないか検証できないことが多く、概ねフィクシンであるがバイロンの執事を彼が死ぬまで務めた弁護士のハンソンや隣家の豪農の娘メアリー、ケンブリッジ大学でのバイロンの学友、ケンブリッジ聖歌隊の主席歌手だったジョン・エーデルトンらは実在の人物である。
第七話 レディー・キャロライン  (1812年 イギリス)
バイロンとキャロライン・ラム夫人が偶然ではなく夫人からの招待状によって会った時、夫人はサミュエル・ロジャース、トマス・ムーアとの乗馬から戻ったばかりでこの二人が同席していたのは事実であるが、出会った場所に関して、ホランド・ハウスとメルボルン・ハウスの両方の記載がある。状況からみてメルボルン・ハウスが自然だと思われる。なお、四人は屋内で出会ったが、ロジャース/ムーアにメルボルン子爵家について語らせるために屋外で出会ったという脚色をほどこした。
・ 一八一二年七月二十九日、ロンドン、セント・ジェームズ街のバイロンのアパートをホブハウスが訪問中にラム夫人が男装して現われ、女装で帰っていったというのは史実であるが、夫人の訪問中に何が起きたかは不明。なお、ホブハウスはこれより前にラム夫人の母親からラム夫人とバイロンを引き離すよう依頼されている。同年八月十二日のラム夫人の失踪と、発見後に夫と母親とともに
アイルランドに出発したことは史実。
・ オックスフォード夫人とバイロンとの馴初め、なぜバイロンが同夫人と急速に親しくなったのかなどは不明。ホブハウスのさしがねだったというのは虚構である。

・なお、章頭のバイロンの演説はイギリス議会で行われたトップ10の名演説として記録されている。

第八話  暴風雨(1818年 ~ 1822年 イタリア)
バイロンは北イタリアのカルボナリに関わっていたというだけで、その役割については記録がない。バイロンがカルボナリのメンバーに議会制度のありかたに関する考え方を提供したというのは推測。
バイロンとピエトロ・ガンバが最初に出会った時にはテレサ・グイッチオーリは旅行中でラベンナ
にはいなかった。
・ 一八二○年の暮れにバイロンの屋敷の外で起きた殺人事件に関しては、殺された男の名前と軍隊での身分などがわかっているだけで、真犯人も殺人の動機に関しても全くわかっていない。したがって殺された男が二重活動家だったというのは仮説。
第九話 スコットランドの荒野 (1798年夏 イギリス)
スコットランドアバディーンでの香水屋の二階での間借り、ノッティンガムシャー、ニューステッドに旅立つまでの掘っ立て小屋での仮住まい、このころから始まった母親との確執などを素材にした虚構である。
最終話 ギリシアでの死 (1824年)
バイロンの死を見取ることのできた人間の中で、英語が理解できたのはトレローニーとフレッチャー、バイロンの話し相手になれる知的レベルの人間はイタリア語しか話せないピエトロ・ガンバだった。バイロンシェリーに関する回想を執筆したトレローニーには文才はあったが、彼の知的なレベルやバイロンとの親密度は不明。そこで、バイロンを看取ったのはピエトロ・ガンバだったということにして、瀕死のバイロンマクベスの台詞をしゃべらせた。バイロンが臨終の時に発したイタリア語は、本当に臨終の際に発せられたかどうかはわからないが、ピエトロ・ガンバが確かに聞き取ったとされている。

(完)

 

【読書ルームII(123) 黄昏のエポック- バイロン郷の夢と冒険】

最終話 ギリシャに死す(一八二四年)およびあと書き等 4/5

 

あと書き

 

「夢落ち」というのは小説の禁じ手である。もし力量のある小説家が主人公が翻弄される波瀾万丈の物語を描いた後で主人公が目を覚まして服を着替えて朝食を取って何食わぬ顔で満員電車で出勤する様を描きかつ主人公に「さっきのはやはり夢だったのか。」と語らせたなら読者は「今までの読書に費やした時間をどうしてくれる!」と憤るかもしれない。ただ本作の最終話を読んだ方なら分かっていただけるだろうが、第一話から第九話に至るまでの本作の大部分を占める部分は単なる泡沫(うたかた)のような毎晩、正確に言えば毎朝の目覚めの直前に見る夢ではなく、この世を生き抜いた人間が死ぬ間際に走馬灯のように見るというその人の一生を俯瞰した夢である。従って、その夢の巻頭は人生の岐路に立たされた時の映像であるのが相応しく、次は進まざるを得なくなった道を手探りで歩む苦しい過程が走馬灯に映され、そして自分をその道に追い込んだ原因などが外的要因が始まり、次第に幼少期に経験して自らの潜在意識の深い部分に隠されてしまった動機付けなどに沈潜していくのではないだろうか。この走馬灯では当然のことながら自分の生き方に大きな影響を与えた事象にはスポットライトが当てられて細部に至るまでが鮮明に映され、比較的影響が少なかった事象は曖昧にぼかされるであろう。本作品は史実に基づいてはいるが、挿話の選択と肉付けはこのような原則に拠っている。

 

付記1 

物語というものは何が何でも時間軸に沿って読まねばならないと考える方の為に一応、各挿話を時間に沿って並べてみる。本作品のテーマに照らすと時間軸に沿った配列の方が乱雑で意味をなさない。バイロンが自分の果たすべき使命とは何なのかという問いを鋭く突きつけられたジュネーブ(レマン)湖畔での挿話はあくまでも第一話でなければならないし、この疑問に対する決定的なヒントはバイロンが未だ貴族社会に属していなかった幼少時の体験を描く第九話で明らかにされるのでこの挿話は最後に語られなくてはならない。人生最後の走馬灯としての配列(目次とURL)は次のエントリーに掲載する。)

 

第九話 スコットランドの荒野にて1798年夏 イギリス)

第五話  小公子1798年夏 ~ 1802年夏 イギリス)

第六話 若き貴公子 (1805年夏 ~ 1809年夏 イギリス)

第四話 青い空、青い海 (1809年夏 ~ 1811年秋 ポルトガル→スペイン→アルバニアギリシア→トルコ→ギリシア→イギリス)

第七話 レディー・キャロライン (1812年 イギリス)

第二話 優しき姉よ (1814年 ~ 1816年春 イギリス)

第一話 レマン湖の月 (1816年夏 スイス )

第三話 ため息橋にて (1816年秋-1818年初、イタリア)

第八話 暴風雨 (1818年 ~ 1822年 イタリア)

最終話 ギリシャに死す(1824年)

あと書きおよび付記1 完

 

(読書ルームII(124) に続く)