黄昏のエポック - バイロン郷の夢と冒険

かわまりの読書ルーム II

【読書ルームII(64) 黄昏のエポック- バイロン郷の夢と冒険】

第六話 若き貴公子(一八○五年夏 ~ 一八○九年夏  イギリス  1/18)

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「あいつは変人だ。」とケンブリッジ大学トリニティー・カレッジに入学したばかりの富豪の息子ホブハウスが母校イートン校の教員助手からケンブリッジ大学のフェローになったばかりの年長の友人スクロープ・デービスに言った。

「やつはいつでも白いシルクハットをかぶり、白い手袋をして、おつにすましていやがる。」
「トラファルガーの戦勝lxii[1]が伝えられた日にやつが何をしていたか知っているか?図書室にこもって細長い紙に何やら一生懸命書き込んでいた。僕が、君は戦勝パレードは見にいかないのかと尋ねると、やつは人を食ったようにふんと鼻先でせせら笑った。その日、図書館の中にいたのは僕とやつだけだった。」とスクロープ・デービスが言った。
「あなただってトラファルガーの戦勝パレードの日に街に繰り出さずに図書館にいたんじゃないですか。」とホブハウスが言うとデービスは「僕はその日、司書に留守番を頼まれたんだ。でもやつは新入生であの頃は授業もまだ始まっていなかった。」と答えた。
「やつが細長い紙に何か書き付けているのは僕も見た。あれは一体何の真似なんだろう・・・。」と一緒にいたホブハウスと同じイートン校を卒業し、二年前にケンブリッジ大学に入ったチャールズ・マシューズが言った。
「やつが席をはずした時にこっそり覗いてみたら、紙には本の名前がびっしり書き込んであった。」とデービスが言った。
「僕はやつがその紙を指差しながら何かを数えているのを見た。」とホブハウスが言った。
「やつが図書館の中だけで奇妙な行動を取るだけならまだどうということはない。僕が知り合ったある学生の話によると、寮で熊を飼い始めた新入生がいて、それがどうやらあいつらしいんだ。」とマシューズが言った。
「それは穏やかじゃない話だな。」とデービスが言った。
「やつはどんなお大尽の息子か知らないが、二人の従者と三頭の馬を連れて寮に入ったらしい。」
「二人の従者と三頭の馬は危なくはないが、熊はなあ・・・。」
「熊だけじゃない。熊の話をした男によると寮では夜な夜なサンドバッグか何かを殴るような音がうるさく聞こえるがその音の主があいつらしい。」
「図書館での奇妙な行動と熊とボクシングか・・・。本当に変ったやつだ。やつは引っ込み思案なのかな。誰かと一緒にいるところを見たことがない。」
「やつの目つきを見る限り、引っ込み思案には見えない。お高くとまっているとしか思えない。やつは絶対に人に話しかけて自分から友人を作ろうとはしない。向こうから話しかけてくるのが当然だと思っているらしい。」
「あの顔つきにそう書いてある。」
「あの整った顔立ちでびっこを引いて歩くから、奇妙な振舞いと並んで一層人目を引く。」
ケンブリッジ大学の新入生ジョン・カム・ホブハウス、二年先輩の学生チャールズ・マシューズ、同大学のフェローのスクロープ・デービスの三人は同じく図書館に入り浸っている変った新入生について噂した。その新入生のことが噂に上ったのはやはり、その人目を引かずにはおかない端正な容貌と脚の奇形、そして向こうから話しかけてくることなど期待すべくもない尊大な態度のせいだった。


ある日、ホブハウスはいつものように図書室に入り、もう何度も手に取って読んだことのあるシェークスピアの歴史ものの一冊を手に取った。すると例の変人がびっこを引いて肩を上下させながら部屋に入ってきた。
もう幾度となく同じ場所で出会ったことがあるのに変人のほうはホブハウスに目もくれず、机の前の椅子に腰かけると手にしていた細長い紙を広げ、インク壺とペンを取り出し、細長い紙の上を指さしながら何やら数え始めた。ホブハウスはその学生の向かい側の席に腰掛けた。学生は数え終わると何やら数字ばかりが書き込まれて別の紙片を取り出してやはり数字を書き込むと計算を始めた。
「三千二百五十四冊・・・しかし、重複がないとどうして言えるんだ・・・。」と変人の学生が呟いた時には興味をそそられたホブハウスはその呟きがはっきりと聞こえるほどに身を乗り出していた。学生は顔を上げた。目の前にホブハウスの顔があった。
「やあ、こんにちは。僕の顔にインキでもついていますか?」と変人の新入生はとぼけて言った。
「いや、別に。何をしているのか興味をそそられたもので・・・。三千二百五十四冊というのはもしかしたら今までに読んだ本の数ですか?すごいですね。」とホブハウスは言った。
「さあ、正確な数とは言えないんです。例えば聖書は新約聖書旧約聖書をまとめて一冊と数えているけれどギボンの『ローマ帝国の盛衰』は巻ごとに一冊と数えているし、ホメロスの『イリアース』と『オデッセイ』は二冊として数えたりして、数える基準がはっきりしない上に重複が何件もあるんです。」

「また、根気よく数え上げたものですね。僕なんか、本は好きだけれど、今までに何冊読んだかなんて数えようと思ったこともなかった。」
「知的な挑戦ですよ。この図書館には僕が今まで見たどんな図書館よりも多くの蔵書があるから、やってみる気になったんです。数字の記録の意味なんかについて考えるいいきっかけにもなりました。しかし、人間の頭というのは雑にできていてこういう仕事をする時には記憶や注意力からぽろぽろとすべり落ちていく内容があってどうしようもないです。脚韻のそろった単語だったら頭の中からいくらでも出てくるのに、人間の頭というものは不思議なものです。」
「脚韻のそろった単語が頭からいくらでも出てくるって・・・あなたは詩を作るのですか?」
「まあね。十三歳になるまで詩には全く関心がなかったんですが、ポープやドライデンやミルトンの詩を読む機会があって詩とはこんなものかと思って真似してみたら出来てしまったんです。」
「面白い。僕はこの大学のフェローのちょっと愉快な男と知り合いになってよく一緒に飲んだりしゃべったりするんですが、今度一緒に集まりませんか?」
「フェローってもしかして、時々司書席に座っている・・・。」
「そう。スクロープ・デービスです。もう一人本が好きですごい勉強家の面白い男も仲間です。」
こうしてバイロンとホブハウスはお互いに名前を名乗りあい、ホブハウスは気になっていた変人を読書を共通の関心とする愉快な仲間に引き入れることに成功した。しかし、こうしてジョン・カム・ホブハウス、スクロープ・デービス、チャールズ・マシューズらに知り合う以前にケンブリッジ大学トリニティー・カレッジに入ったばかりのバイロンはすでに友人を作っていた。

(読書ルームII (65) に続く)

 

 

【参考】

アレクサンダー・ポープ (ウィキペディア)

 

ジョン・ドライデン (ウィキペディア)

 

ジョン・ミルトン (ウィキペディア)