黄昏のエポック - バイロン郷の夢と冒険

かわまりの読書ルーム II

【読書ルームII(123) 黄昏のエポック- バイロン郷の夢と冒険】

最終話 ギリシャに死す(一八二四年)およびあと書き等 4/5

 

あと書き

 

「夢落ち」というのは小説の禁じ手である。もし力量のある小説家が主人公が翻弄される波瀾万丈の物語を描いた後で主人公が目を覚まして服を着替えて朝食を取って何食わぬ顔で満員電車で出勤する様を描きかつ主人公に「さっきのはやはり夢だったのか。」と語らせたなら読者は「今までの読書に費やした時間をどうしてくれる!」と憤るかもしれない。ただ本作の最終話を読んだ方なら分かっていただけるだろうが、第一話から第九話に至るまでの本作の大部分を占める部分は単なる泡沫(うたかた)のような毎晩、正確に言えば毎朝の目覚めの直前に見る夢ではなく、この世を生き抜いた人間が死ぬ間際に走馬灯のように見るというその人の一生を俯瞰した夢である。従って、その夢の巻頭は人生の岐路に立たされた時の映像であるのが相応しく、次は進まざるを得なくなった道を手探りで歩む苦しい過程が走馬灯に映され、そして自分をその道に追い込んだ原因などが外的要因が始まり、次第に幼少期に経験して自らの潜在意識の深い部分に隠されてしまった動機付けなどに沈潜していくのではないだろうか。この走馬灯では当然のことながら自分の生き方に大きな影響を与えた事象にはスポットライトが当てられて細部に至るまでが鮮明に映され、比較的影響が少なかった事象は曖昧にぼかされるであろう。本作品は史実に基づいてはいるが、挿話の選択と肉付けはこのような原則に拠っている。

 

付記1 

物語というものは何が何でも時間軸に沿って読まねばならないと考える方の為に一応、各挿話を時間に沿って並べてみる。本作品のテーマに照らすと時間軸に沿った配列の方が乱雑で意味をなさない。バイロンが自分の果たすべき使命とは何なのかという問いを鋭く突きつけられたジュネーブ(レマン)湖畔での挿話はあくまでも第一話でなければならないし、この疑問に対する決定的なヒントはバイロンが未だ貴族社会に属していなかった幼少時の体験を描く第九話で明らかにされるのでこの挿話は最後に語られなくてはならない。人生最後の走馬灯としての配列(目次とURL)は次のエントリーに掲載する。)

 

第九話 スコットランドの荒野にて1798年夏 イギリス)

第五話  小公子1798年夏 ~ 1802年夏 イギリス)

第六話 若き貴公子 (1805年夏 ~ 1809年夏 イギリス)

第四話 青い空、青い海 (1809年夏 ~ 1811年秋 ポルトガル→スペイン→アルバニアギリシア→トルコ→ギリシア→イギリス)

第七話 レディー・キャロライン (1812年 イギリス)

第二話 優しき姉よ (1814年 ~ 1816年春 イギリス)

第一話 レマン湖の月 (1816年夏 スイス )

第三話 ため息橋にて (1816年秋-1818年初、イタリア)

第八話 暴風雨 (1818年 ~ 1822年 イタリア)

最終話 ギリシャに死す(1824年)

あと書きおよび付記1 完

 

(読書ルームII(124) に続く)