黄昏のエポック - バイロン郷の夢と冒険

かわまりの読書ルーム II

【読書ルームII(98) 黄昏のエポック- バイロン郷の夢と冒険】

第八話 暴風雨 (一八一八年 ~ 一八二二年 イタリア 1/17)


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[上は有名なピサの斜塔ルネッサンス期の科学者ガリレオ・ガリレイがここで落下の実験を行ったとされる。]

 

「パーシーは書いて、書いて、書きまくっています。私の校正が追いつかないくらいの速さで・・・。」
メアリー・ゴッドウィン・シェリーはバイロンに向かってこう言うと泣き崩れた。メアリー・ゴッドウィンとパーシー・ビッシュ・シェリージュネーブへの駆け落ち旅行からイギリスに帰国した直後の一八一六年の秋に、シェリーの妻ハリエットの不慮の事故死によって結婚の自由を手に入れ、すぐさま教会で簡素な結婚式を挙げていた。
「三年前、元気ではしゃいでいるクララをお目にかけたかったのに、お目にかけることができたのは棺に入ったクララでした。あの時にはパーシーが私たちのパスポートを間違って持っていってしまって、後から来た私たちのヴェニスへの入国lxxxi[1]が遅れたせいでクララが死んでしまったんです・・・。アレグラのいい友達になるはずだったのに・・・。」
メアリーはこう言うと涙を拭った。メアリーはラベンナlxxxii[2]からピサlxxxiii[3]に引っ越してきたバイロンが新居ランフランチ邸を整えるのを手伝いに来ていた。
「クララが死んだ後、私はしばらくの間パーシーを許すことができませんでした。夜遅くまで仕事をするパーシーを無視し続けました。南イタリーへの旅行に出かけてやっと仲直りができたと思った時にローマでウィリアムが突然病気になって死んでしまいました。パーシー・フローレンスが生まれてウィリアムの生まれ変わりだと思い、ウィリアムがいなくなった寂しさが少し紛れようとしていた矢先、クリスマスのすぐ後にパーシーがある子供の名づけ親になって、その子供や親の素性を詮索してみたら、パーシーがその子供を父親として認知しているということがわかったんです。」
バイロンは目に涙を浮かべているメアリーの肩を抱いてため息をつき、つぶやいた。「何てやつなんだ。あれほど、結婚という制度を大切にしろと言っておいたのに・・・。」
「それだけじゃないんです。」と、メアリーは声をひそめていった。「私、見たんです。パーシーの原稿を整理している時に・・・。パーシーはジェーンを題材にして、読んでいて頭が熱くなるような情熱的な詩を書いているんです。」
ジェーンというのはパーシー・ビッシュ・シェリーの家から程遠くない場所に逗留している、シェリーの遠縁で文学好きの元軍人エドワード・ウィリアムズの妻のことだった。
「ジェーンにパーシーとの関係について正面切って尋ねるわけにもいかないし、私、ジェーンと一緒の時だけではなく、エドワードと一緒の時にも何だか自分が馬鹿にされているような、身の置き所のない感じを持ってしまいます。」
「人妻に首ったけになるなんて、全く困ったやつだ・・・。私からそれとなく聞きただしておこう。」
涙をまた拭った後でメアリーはバイロンを正面から見つめ直して言った。
「一刻も早くアレグラを引き取ってくださいね。クレアがアレグラを手放したのは、閣下(ロード)だったらアレグラに立派な教育を与えることができるからです。覚えていらっしゃいますか?三年前、閣下にお渡しする前にはアレグラはパーシーのことを『パパ』と呼んでいました。でも三ヶ月前にアレグラに会った後、パーシーは『アレグラは今では閣下が自分の父親だと思っているのか、僕のことをすっかり忘れているようだった。』と言いました。」
「私のところに来た時には、『本当』という言葉の意味をしらなかったせいでアレグラは私のことを『本当のパパ』と呼び、パーシーのことをただの『パパ』と呼んでいたんだ。私が飼っている動物たちと全く同じぬいぐるみを与えて、本物の動物とぬいぐるみを区別してぬいぐるみに自分が好きな名前をつけさせた頃からアレグラは私のことをただの『パパ』と呼ぶようになった。」

「アレグラがウィリアムに倣ってクレアがいる前でも私のことを『ママ』と呼ぶのを、私たちは心を鬼にして変えさせませんでした。クレアのことを『おばちゃん』と呼ぶようにしつけました。閣下はアレグラが『ママ』と呼べるような素晴らしい方と付き合っていらっしゃると聞きました。その方はもうすぐしたら、ピサにいらっしゃるんでしょう?だから、お願いですから、早くアレグラを引き取ってください。そして、二度とあの子を修道院には入れないでください。」
「今は冬だから、アレグラにアペニン山脈を越える長旅をさせたくない。良い子守りを雇って、春になったら信頼できる屈強な従者二人と一緒にアレグラを引き取りにロマーニャに送ろう。」
こうは言ってみたものの、バイロンは本心では身辺の事情を考慮し、良い子守りではなく、アレグラを安心して預けられる良い修道院を探すつもりでいた。
「これからもパーシーのことで困ったことがあったら何でも私に相談にしなさい。」
バイロンがこう言い、メアリーは帰っていった。しかし、五年前にジュネーブ湖畔でシェリーと出会って以来、動乱の日々がバイロンを変え、相変わらず子供のように純真で思ったことは何でもやってのけるシェリーを今でも諭すことができる自信がバイロンにはなかった。バイロン自身が人妻に恋をし、しかもその恋は一時の情事で終わることがなく、相手とその夫を離婚にまで追いやっていた。ただし、この離婚に関してはバイロン自身に言い訳が立たないわけではなく、人妻に手を出したバイロンに責任があるというよりは、自然の帰結を早めただけだった。相手の人妻、テレサ・グィッチオーリ伯爵夫人はあまりに若くして、親子ほども年の離れた色男のグィッチオーリ伯爵と結婚し、グィッチオーリ伯爵の最初の妻が伯爵によって毒殺されたという噂を聞くに及んで、結婚してから不安定になった自分の健康が何かその事実と関連があるのではないかという疑惑を拭うことができず、バイロンと出会ってしばらくした後、父のガンバ伯爵に離婚の許しを乞うようになった。カトリックの影響が強いイタリアで離婚が成立したのは、権力者であり、また娘の結婚に当初から反対していた父ガンバ伯爵がローマ法王に訴えて離婚の許可が得られたからだった。

(読書ルームII(99)に続く続く)

 

 

【参考】

グィッチオーリ伯爵邸が現在でもあるラベンナはヴェネツィアの南で馬車や騎馬でもほど遠くない場所に位置する古都で中世には東ローマ帝国の飛び地だったため東ローマ風の建造物やイスラム勢力の侵攻と偶像破壊を免れたギリシャ正教風のモザイク壁画で名高い。

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2016年にわたしがラベンナに滞在した時、宿泊したオテル・チェントラーレ・バイロンのコンシエルジェが英国詩人バイロン郷の縁(ゆかり)の場所であるグィッチオーリ伯爵邸は(2016年時点で)改修中だと話しました。ラベンナは中世東ローマ帝国文化遺産で世界に知られ、またイタリア全土は古代ローマ帝国とヨーロッパ近代の口火を切った輝かしいルネッサンス文化遺産で知られていますが、それらの過去の栄光のせいで政治的には他のヨーロッパ諸国の後に甘んじてしまったきらいがあります。そういうイタリアの悩みや他ヨーロッパの文化人にとっての憧れの地といった観点からも文化財の保護や世界に向けての公開がなされるといいです。

 

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ラベンナに存在するルネッサンス期の文化遺産としては故郷フィレンツェで政争に巻き込まれて敗れ、ラベンナに流刑になって無念の死を遂げたダンテ・アルギエレ(トスカナ方言のイタリア語で一大叙事詩神曲」を執筆した文人)の墓があります。わたしが訪れた時、薄暮の中で不敵にもダンテの墓の上に寝そべってスマホをいじっている顔が浅黒く彫りが深い男の子がいました。わたしが拙いイタリア語で話しかけると「僕、英語の方が得意だから英語で話して。」と即座に仲良くなれました。わたしが日本人だということで彼が関心を持ったのは日本人が広島・長崎への原爆投下を恨んでいないかということで、それに対してわたしは「アメリカや旧連合国に対する恨みつらみは何も生み出さないし、原爆で亡くなった人は恨みつらみで帰ってくることはないけれど、友情と信頼は色んなものを生み出して生産的だということをわたし達日本人は証明したのよ。」と答えておきました。名前も聞かずに別れたその男の子はパキスタン出身で中東やイスラム過激派への偏見や怨恨のせいでイスラム教徒の移民が難しくなっていることを嘆いていました。男の子が寝そべってスマホをいじっていたのは隣接するダンテ記念館のWifiを週7日24時間いつでも使えるからです。