黄昏のエポック - バイロン郷の夢と冒険

かわまりの読書ルーム II

【読書ルームII(92) 黄昏のエポック- バイロン郷の夢と冒険】

第七話 レディー・キャロライン (一八一二年初-一八一四年、イギリス  11/16)

 

「その奥の手というのは?」
「それを説明する前に、まず君とラム夫人とのスキャンダルの正体について君自身が知っておく必要がある。いいか。ラム卿の敏腕、温厚な人柄、冷静な判断力と果敢な行動力は多くの人間に評価されている。でも、それだけに彼を妬む人間も多い。特に王党(トーリー)派の連中はそうだ。だからこそ君とラム夫人との関係がスキャンダルになったんだ。僕は他ならぬ君とラム夫人のスキャンダルのせいでラム卿の将来を駄目にしたくない。じゃあ、どうすればいいのか・・・本人の魅力はラム夫人と同等かそれ以上だが夫の出来はラム卿より明らかに劣るという人妻と君とがいい仲になってラム夫人の時と同じように噂が立つかどうか試してみればいいんだ。おそらく噂は同じようには立たないはずだ。そうすれば世間の人々は、君とラム夫人との間のかしましい噂が、実際にはラム卿に対するやっかみによって生じたのだということに気づくだろう。僕は相手を物色し始めている。君を飽きさせず、周囲も納得するような魅力的な女性じゃなければだめだし、その女性が状況を理解して進歩(ホィッグ)党の将来のために協力してくれなければならない。君には魅力があるから、その女性だって楽しめるだろう。」
「ホブハウス、君はウィリアム・ラム卿の政治生命と進歩党のことしか頭にないんだな。」バイロンがこう言うとホブハウスは声を荒げた。
「じゃあ、他に何を考えればいいんだ?君の気持ちか?君はさっき結婚するかもしれないと言った。ラム夫人の気持ちか?ラム夫人の気持ちは所詮僕らにはどうにもできない。彼女が息子のためにどんなにつらい気持ちでいて、つらい現実からどんなに逃れたいと思っていても、君や僕にはどうすることもできないんだ。障害がある子供を持った親のつらさを代わりに引き受けることはできない。情事や姦通は一時の気晴らしにはなるかもしれないが、問題の解決にはならない。これはラム夫妻が自分たちだけで引き受けなければならない問題なんだ。でも僕は思う。政治家の道を歩んでいるラム卿に関してだけ言えば、神がラム卿に、障害者の息子を与えることによって、訴える能力を持たない人間の権利や人格を尊重しろと命令しているような気がする。障害がある子供を持った親として彼がどれほど苦しんでいるか、僕はベスボロー夫人との会話から間接的に知ることができた。でも僕は彼に同情したりはしない。子供の悩みが彼を大きな人間にするのを見守るだけだ。君だってラム夫人に対して、僕がラム卿に対して取っているのと同じ態度を取れないはずはないだろう。幸いにして彼女にはサミュエル・ロジャースやトマス・ムーアのような立派な友人がいる。今日のことで彼女は僕を恨んでいるだろうけれど、ほとぼりが冷めたら出版者のマレーなんかを紹介してやろうじゃないか。」

 

ホブハウスの忠告にもかかわらず、バイロンはラム夫人がこのままラム卿やベスボロー夫人とともにアイルランドに去ってしまえば、平穏な日々が戻るはずなので決定的な態度は取る必要はないと考えていた。アナベラ・ミルバンク嬢への求婚がどのような結果をもたらすのかは予測できなかったが、今の段階で結婚が可能ではないとしても、ラム夫人がロンドンから姿を消している間に少なくともホブハウスが考えている「奥の手」を採用し、ラム夫人が戻ってくるまでには自分のガードを固めることができるのではないかとも考えた。


学生時代の無軌道な生活と地中海旅行の出費のせいでバイロンは借金を抱えていた。弁護士資格のある忠実な執事のハンソンが借金の清算のために先祖代々受け継いできたニューステッド・アベイを売却することを提案していた。メルボルン子爵家やラム夫人の実家とは比べ物にならない微々たるバイロン家の領地からの収入はバイロンの派手な生活と何かと手の掛かるニューステッド・アベイの維持には十分ではなかった。ラム夫妻とベスボロー夫人はアイルランドにあるベスボロー家の領地を視察に行くらしかった。当主のメルボルン子爵が貴族院議員を務めるだけではなく、金のかかる選挙によって跡取り息子のウィリアム・ラムをバイロンにとっては憧れの衆議院に送り込んでいる、ただでさえ裕福なメルボルン家が、ラム夫人との姻戚関係によって潤沢な資金源となる新たな領地を獲得しようとしていることをバイロンはうらやましく思った。「メルボルン家の人々はまさに銀のスプーンを口にくわえて生まれているんだ。」とバイロンメルボルン家の繁栄を見るにつけて思ったが、ラム夫妻の一人息子オーガスタスのことに思いが及ぶと心が曇った。ハンソンから次々と伝えられるニューステッド・アベイの競売の件でバイロンがラム夫人のことを一時期忘れていた八月半ばのある日の昼過ぎ、誰かがバイロンのアパートの玄関のドアを叩き、使用人が息せき切ってやってきた。
「閣下(ロード)、メルボルン夫人とベスボロー夫人が玄関に見えています。お二人とも何だかものすごく興奮しています。」
「わかった。客間にお通ししろ。すぐに行く。」

(読書ルームII(93)に続く)