黄昏のエポック - バイロン郷の夢と冒険

かわまりの読書ルーム II

【読書ルームII(102) 黄昏のエポック- バイロン郷の夢と冒険】

【第八話 暴風雨 (一八一八年 ~ 一八二二年 イタリア 5/17)】

 

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[ラベンナにある世界遺産建造物内のモザイク画]

 

「二重活動家(ダブル・エージェント)の可能性がある人間が自分の屋敷の前で殺されたのは正に、カルボナリの中に自分が二重活動家(ダブル・エージェント)ではないかと疑っている者がいるからなのではなかろうか。イギリス貴族であり、ウィーン反動体制で中心的な役割を担っているイギリス政府の中枢部と接触しようと思えばいつでも接触することができる自分に対して、二重活動家(ダブル・エージェント)の末路を示す見せしめとしてこの男が殺されたのではないか・・・。」こう考えた時、バイロンは今まで仲間だと考えてきたカルボナリのメンバーも、ガンバ伯爵父子以外は決して信用してはならないと思うようになった。


バイロンは外出の際にいつでも二人の従者を連れ、ピストルを隠し持つことを怠らないようになった。問題はアレグラだった。アレグラにはイギリス人とイタリア人の二人の子守り女をつけていた。この二人のうち、イタリア人のほうには買い物などの用事を言いつけることがよくあり、アレグラもイタリア人の子守り女と一緒に市場(マルカト)に行くのが好きだった。
「もし、あのイタリア女がアレグラと連れ立って出かけた時に知り合いにでも出会って、おしゃべりに夢中になってアレグラから目を離したら・・・。」こう考えるとバイロンはぞっとした。「外に出ることが好きなアレグラが広場(ヒ ゚ ア ッ ツ ァ)で遊びに興じている間に子守り女が目を離し、アレグラが誘拐されでもしたら・・・。」しかし、イタリア女に注意を与えるわけにはいかず、同じ年ごろの幼児と
遊びたいアレグラを広場(ヒ ゚ ア ッ ツ ァ)に行かせないわけにもいかず、創作で忙しい自分がアレグラの外出のたびに付き添うわけにもいかなかった。思案の末、バイロンはアレグラを絶対安全な場所に預けることにした。その場所とは女子修道院だった。


バイロンはアレグラに新教徒(プロテスタント)としての教育を受けさせたかった。新教徒であるばかりではなく、進歩(ホィッグ)党の党員lxxxvi[6]だったバイロンは、信教の自由は尊重しながらもカトリックは無知蒙昧の温床であると頑なに信じていた。しかし、状況は予断を許さなかった。バイロンはアレグラを修道院に送る手はずを整えるまでアレグラの外出に出来る限りつき添うことにした。二人の屈強な従者もいつでもつき添っていた。そして、アレグラと一緒に外出した時は必ず暗くなる前に帰宅し、「旦那さまは例の殺人事件以来、極端に注意深くなった。」と使用人たちに笑われるのに任せた。


年が明け、ようやく決心を決めたバイロンテレサが「ここなら安心してアレグラを預けることができる。」と言った女子修道院を確認のために訪れたのは二月になってからだった。三月の初め、高価な人形や玩具、美しい刺繍をほどこしたクッションや与えられた個室の窓に飾るカーテンなどと共にアレグラは馬車に乗せられて修道院へと向った。


アレグラを修道院に入れた後も、自分の身辺に不穏な空気が漂っているという憶測を変えることができず、バイロンはアレグラを修道院に入れたことは正しい判断だったと思った。外国人の貴族でもあり、二人の従者を常に連れて出歩いている自分がいきなり拉致されたりはしないだろうとバイロンは思っていたが、蒸し暑いロマーニャ地方の夏が本格的に到来した六月のある日、一人の従者が、気が動転した様子でバイロンのもとに駆け込んで来て言った。
「ティタ・ファルシエリが警察に連行されました。」
ティタ・ファルシエリというのは、バイロンヴェニスでゴンドリエとして雇い入れた男で、ラベンナに引っ越してからはガンバ邸やグィッチオーリ邸、その他の場所への伝令をやらせたり、買い物や力仕事をさせたりしていていたが、カルボナリに関わる伝令をこの男に頼んだことは全くなかった。バイロンはちょうど、劇詩「サルダナパルスlxxxvii[7]」を完成し、次の劇詩「二人のフォスカリlxxxviii[8]」の執筆に着手しようとしていたところだったが、この男の釈放のために時間を割かなければならなかった。

 

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[ティタの故郷、ヴェネツィアの大運河(グランカナル)]

バイロンは、ティタが自分の従者であり、ガンバ伯爵家の者と自分とを繋ぐ伝言を引き受けているために、自分に対する嫌がらせと威嚇のために拘留されたのだと確信していた。そのバイロンの確信を裏付けるかのように、バイロンにとってはもっと衝撃的な出来事が起きた。それはピエトロ・ガンバがオーストリア警察に連行されたことだった。


ティタの拘留の件でバイロンは実質的に創作の手を休めることはなかったが、今度はピエトロのためにイギリス貴族の肩書きを利用して出来る限りのことをするために奔走せざるを得なくなった。バイロンはローマに滞在していた昔の恩人、デボンシャー公爵夫人エリザベスに手紙を送り、ローマ法王の下で外務大臣に相当する地位にある、コンサルヴィ枢機卿にピエトロ・ガンバの釈放を命令してもらう可能性を探った。しかしこの努力は実らず、ガンバ邸はオーストリアの警察によって家宅捜査を受けた。間一髪のところでテレサがピエトロとカルボナリとの関係を裏付ける書類全部を大きな壺に入れて焼き払ったため、ピエトロは釈放されることになった。しかし、ガンバ伯爵父子は二十四時間以内にラベンナから立ち退くよう言い渡された。たった一人邸に残されたテレサも、後片付けが終わった後に父と弟の追放先であるフィレンツェに行くことになった。

 

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[フィレンツェの一風景 ミケランジェロ作のダビデ像]

一八二一年の八月になり、従者のティタ・ファルシエリは釈放された。テレサは空家になったガンバ邸を去ってフィレンツェにいる父と弟の元に移り、バイロンは創作に没頭しながらも空しさを感じた。その時、ピサに居を構えていたシェリーがひょっこりラベンナにやってきた。手紙のやりとりはあったものの、一八一八年の春にアレグラを渡すためにヴェニスに来て以来、シェリーとは約三年間、顔を合わす機会がなかった。

(読書ルームII(103)に続く)

 

 

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[あくまでも牧歌的なラベンナの一風景]