黄昏のエポック - バイロン郷の夢と冒険

かわまりの読書ルーム II

【読書ルームII(103) 黄昏のエポック- バイロン郷の夢と冒険】

[第八話 暴風雨 (一八一八年 ~ 一八二二年 イタリア 6/17)


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[ラベンナにある世界遺産建造物内のモザイク画]

 

抱き合って再会を喜びあった後、シェリーは言った。

「閣下(ロード)、閣下と地続きの土地に移ってきて、いつでも会えると思っていたのですが、この前お会いしてからもう三年になります。三年前にヴェニスでお会いした時には病気から回復されたばかりだったので顔色が悪くて心配しましたが、お元気そうでなによりです。ところで、僕たちですが、一時期にはウィリアム、クララ、アレグラの三人の子供がいて家の中は本当ににぎやかだったし、僕たちは三人の子供たち全員を立派に育てようとして張り切っていたのに、今ではウィリアムだけになってしまいました。」
この前置きでバイロンにはシェリーの訪問の意図を察っした。バイロンは言った。
「君の訪問の意図を当ててみようか?アレグラを修道院に送ったことを責めにきたんだろう。そして、アレグラが僕と一緒に住めるよう、僕の生活に何か改善点を見つけようと思っているんだ。」
「当たっています。それが今回の一番重要な目的です。」とシェリーは正直に答えた。
「僕がアレグラを修道院に送ったのは僕の愛情が足りないせいだと言いたいんだろう。」とバイロンが言うとシェリーは「そうではないと信じているからこそ、閣下がたった四歳のアレグラを修道院に送った理由を知りたいんです。」と答えた。
「ふうん・・・。」とバイロンは言った。自分がカルボナリの一員で、イタリア統一と独立運動にかかわっていることを親しい友人のシェリーに告げて理解を求めることにはやぶさかではなかったが、この事実がシェリーからメアリーやクレアに伝わったらただでは済まされないし、特にクレアが危険な運動から遠ざかるように求めてきたりしたら厄介きわまりない、とバイロンは自分が手に染めている政治活動のことには口をつぐむことにした。また、イギリスでは政治的な先鋭だったシェリーがもしバイロンの行動に賛同したとしても、イタリア語が不自由なシェリーはこの地では足手まといにしかならない、とバイロンは思った。そこでバイロンは言った。
「僕がアレグラを愛していないなんて、そんなことがあるものか・・・。僕はアレグラを父として本当に愛していて、理由は言えないが、愛情があるからこそ彼女を修道院に入れたんだ。」
「僕はわかりません。創作に没頭して、アレグラの相手をする暇もないんですか?一時期、二人も乳母を雇っていると聞きました。しつけや教育は雇った人間にやらせて、閣下はほんのたまに、飼っている動物たちよりずっとかわいくて賢いあの子の遊び相手を務めれば、それだけで心がなごんで、もっと創作に励むことができるのではありませんか?」
「お願いだから、詳しい理由は聞かないでくれ。テレサとの生活のことも全然問題じゃなかった。彼女はアレグラを本当にかわいがってくれた。」


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[ラベンナにある世界遺産建造物内のモザイク画]


バイロンはガンバ一家が急にラベンナを去った理由についてもシェリーには話さなかった。これ以上、何を話しても無駄だとわかり、シェリーはアレグラがいる修道院の場所を聞くと話題を変えた。
「半年前にジョン・キーツがローマで死んだことを閣下にはもうお伝えしていましたね。」
「そのことはもう聞いた。」とバイロンはそっけなく答えた。シェリーは言った。
「彼が死んで、僕は本当に悲しかったんです。彼の死の知らせを受けた時には涙が流れて、しばらくの間、涙が止まりませんでした。でも、泣くのは生産的ではないと思い直して、その悲しみを創作の原動力にする努力をしてみました。そして・・・。」
シェリーはこう言うと上着のポケットから小さな書籍を取り出してバイロンに見せた。
「『アドニス』・・・これは僕がジョン・キーツの死を悼んで書いた長詩です。先月イギリスで刊行されて、僕がここに向けて立つ直前に手に入りました。閣下に一部差し上げますから是非、読んでください。」
バイロンは渡された書籍をぱらぱらとめくりながら言った。
「何だ、『悲しい。』を連発しているだけじゃないか?」
「だって、本当に悲しかったんです。でも、訴えていることはそれだけではありません。」
キーツの死を悲しむのは勝手だが、君のほうがキーツより上だ。僕は保証する。」
「いいえ、僕よりも年下でありながら、詩作にかけては彼のほうが僕よりもずっと上でした。三年前に閣下にお目にかかった時には、お見せした『エンディミオン』くらいしか作品を発表していませんでしたが、その後、彼が詩の中に構築したのは完全な世界でした。彼は僕の弟にして師でした。」
「僕が君のほうが上だと言っているんだから君のほうが上なんだ。何が『美しいものはとこしえに喜びなりlxxxix[9] ・・・』だ。それがどうした?自己満足の自慰(オナニー)野郎が・・・。」


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[ラベンナにある世界遺産建造物内のモザイク画]

 

シェリーは思わず青い目を見開き、口を手で抑えて息を呑んだ。
「閣下(ロード)!あなたはアポロン神のような気高い容姿をされているのに、耳を覆いたくなるようなとんでもない言葉が口をついて出てくるんですね。」
「こんな言葉、九歳の時から意味は判らないが知っていた。意味が判った時からは使いたい放題だ。君は旧約聖書xc[10]をまともに読んだことはあるのか?自慰(オナニー)野郎も無神論者の君もどうせ、旧約聖書なんてろくに読んでないんだろうな。」
「一応は読みました。でも多分、閣下ほど真剣にではないと思います。」
「そいつの生まれや身分は何だったっけか?」
「馬車の駅舎を経営していた親父さんが早くに亡くなって随分苦労したようです。詩人になる前に医者の助手の免許を取りました。」
「馬屋で生まれて医者になったか・・・。『馬屋で生まれても馬にはならなかった。』とうそぶいたウェリントンだかヴィレントン(悪漢野郎)だかの同類だったかもしれない。」
イエス・キリストも馬屋で生まれました。」
「そいつは何歳だったんだ?」
「一七九五年生まれの二十五歳でした。」
「医者をやっていた、多分今でもやっている、ジュネーブにまでくっついてきた人形男(ドーリー)と同じ年か。一七九五年にはヘボ詩人が多く生まれたんだな。医者をやって音を上げてヘボ詩人になるという共通の轍を踏む。」

キーツは閣下が自分に対して冷淡なのをよく気にしていました。中産階級出身の者が詩を書くことに閣下が反対なさっているんじゃないかと・・・。」
「そんなことは問題じゃない。詩で表現する内容が問題なんだ。例えばやつの詩に『汝、まだ陵辱されざる静寂の花嫁よ・・・xci[11] 。』なんていうのがあるじゃないか。何だこれは?壺が陵辱されるなんて、自己満足のでたらめな空想はいい加減にしろ。そんな男に捧げるような挽歌(エレジー)なんか五分で書いてやるから、そこに立って待ってろ。」
バイロンはこう言って書き物机の前に腰掛けるとインキ壺を引き寄せ、広げた紙にさらさらと詩句を書き始めた。
「閣下、僕の『アドニス』を最初から最後まで、真剣に読んでください。僕はこの詩によって死を超越した永遠の魂を賛美したかったんです。キーツが目指していたことに及ばずながら挑戦してみたんです。」とシェリーはバイロンの肩越しに言った。

「うるさい。今、書いているところだから黙っていろ!」
「さあ、できたぞ。」
「さすが、早いですね。十四行詩ですか?」
「見ればわかる。」
「な、何ですか、これは!」


「誰が殺したジョン・キーツ?」
「私よ。」と評論家が言った。
「残酷で野蛮なこの手口、
これが私の得意技(わざ)。」


「誰が矢を放ったの?」
「牧師で詩人のミルマンよ。」
(人殺しはいつでも OK)。
サウジーかバロウが犯人かもしれないxcii[12] 。

(読書ルームII (104)に続く)

 

【参考1】

カルボナリ (ウィキペディア)

イタリア統一運動 (ウィキペディア)

ジョン・キーツ (ウィキペディア)

 


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[ラベンナにある世界遺産建造物内のモザイク画]

 

【参考2】

「誰が殺したジョン・キーツ?」以下はイギリスの童謡「マザーグース」の中の有名な詩のパロディー。少し長いが全文を引用しておく。

Who killed Cock Robin?

I, said the Sparrow,

with my bow and arrow,

I killed Cock Robin.

 

Who saw him die?

I, said the Fly,

with my little teeny eye,

I saw him die.

 

Who caught his blood?

I, said the Duck,

it was just my luck,

I caught his blood.

 

Who'll make the shroud?

I, said the Beetle,

with my thread and needle,

I'll make the shroud.

 

Who'll dig his grave?

I, said the Owl,

with my pick and trowel,

I'll dig his grave.

 

Who'll be the parson?

I, said the Rook,

with my little book,

I'll be the parson.

 

Who'll be the clerk?

I, said the Lark,

if it's not in the dark,

I'll be the clerk.

 

Who'll carry the link?

I, said the Linnet,

I'll fetch it in a minute,

I'll carry the link.

 

Who'll be chief mourner?

I, said the Dove,

I mourn for my love,

I'll be chief mourner.

 

Who'll carry the coffin?

I, said the Kite,

if it's not through the night,

I'll carry the coffin.

 

Who'll bear the pall?

I, said the Crow,

with the cock and the bow,

I’ll bear the pall.

 

Who'll sing a psalm?

I, said the Thrush,

as she sat on a bush,

I'll sing a psalm.

 

Who'll toll the bell?

I, said the Bull,

because I can pull,

I'll toll the bell.

 

All the birds of the airfell

a-sighing and a-sobbing,

when they heard the bell toll

for poor Cock Robin.

 

「サウジーかバロウ」の二人はバイロンシェリーの同時代の詩人