黄昏のエポック - バイロン郷の夢と冒険

かわまりの読書ルーム II

【読書ルームII(101) 黄昏のエポック- バイロン郷の夢と冒険】

第八話 暴風雨 (一八一八年 ~ 一八二二年 イタリア 4/17)

 

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[ラベンナにある世界遺産建造物内のモザイク画]

 

「家に戻ってきてから何回か、父と相談する機会を持ちました。夜、人が寝静まった頃に、特別なやり方で父の寝室の扉を叩くんです。親子なのに何でこんなことをしなければならないんだろう、と言ってお互いに笑いました。でもこれが今の僕ら、つまりカルボナリ全体のやり方なんです。カルボナリは秘密結社ですから、誰がメンバーで、どういった活動をしているのか外部の者には全く秘密にしなければならないんです。姉もぼくら親子がカルボナリに関わっているということの他は何もしりません。姉は閣下にそのようなことを話したことはありますか?」
「ない。」とバイロンは答えた。
「閣下はイギリスでは進歩党所属の貴族院議員でした。間違いありませんね。」
「そのとおりだ。」

「では、閣下にお願いがあるのです。オーストリアの圧制に抵抗しているカルボナリの党員に議会政治について、議会政治とはどんなものなのかを教えていただきたいんです。僕らはオーストリアの支配から解放された後に建設されるべき理想国家を模索しているんです。どうか、僕たちに未来の指針を与えてください。」
夏の木立の茂の中、ピエトロは背伸びをしてバイロンの耳元に口を近づけ、ほとんど囁きに近い低い声でバイロンにこう懇願した。


バイロンヴェニスにいた頃から関心を持っていたイタリア人の抵抗組織や自由主義運動に恋人の弟を介して関わることになった運命の不思議さに驚きながらも、ガンバ伯爵父子との秘密裡の関係を深めていった。バイロンは教会の地下の墓所(カタコム)でカルボナリに対する宣誓を行い、オーストリアからの独立後の政治体制を模索する人々の集まりがあれば請われて議会政治に関する講義を行ったり質問に答えたりした。


こうしてクリスマスが近づいたある日の夕方のことだった。テレサやアレグラに贈る数々の豪華な装飾品やおもちゃを華麗に包んだクリスマス・プレセントが自宅の物入れの中に準備されつつあった。外出しようとしていたバイロンは突然、屋敷の外で何発かの銃声を聞いた。屋敷の中は騒然となった。バイロンがバルコニーに顔を出すと、すでにバルコニーに立って路上を見下ろしていた召使いが下方を指差しながら真っ青になってバイロンのほうを振り向いた。召使いが指差した先に一人の男が血まみれになって倒れているのが夕闇の中ではっきりとわかった。
「早く屋敷の中に運ぶんだ。誰のベッドでもいいから寝かせて、医者を呼べ!」とバイロンは叫んで不自由な足を引きずりながら階下に下りていった。


邸内に運び込まれた男は出血がひどく、虫の息だった。オーストリアの正規軍の制服を着ていたが、屋敷の中に運ばれてきたその男の顔を見た時にバイロンにははっと思い当たることがあった。その男の顔をバイロンヴェニス近郊のカルボナリの集会で見かけたことがあった。
「二重活動家(ダブル・エージェント)・・・。」
バイロンは顔色を変えたことを使用人たちに気づかれないように気を使いながら、フレッチャーの寝室に男を運ぶよう、集まった男の使用人たちに事務的に命令した。医者が到着するよりも先に、玄関からフレッチャーの寝室がある二階に至る邸内の床を血まみれにし、フレッチャーのベッドを二度と使用できないほど汚して、男は息を引き取った。
「アレグラが見る前に床をきれいにしろ。」とバイロンは、フレッチャーの寝室から離れた二階の自分の部屋で子守り女に寝かしつけられようとしているアレグラが騒ぎを聞きつけて部屋から出てくるのを恐れながら女の使用人たちに命令した。バイロンは混乱していた。医者が到着し、殺された男は受けた五発の銃弾のうち一発が心臓を傷つけたために命を失った、と説明したが説明は何の役にも立たなかった。バイロンが知りたかったのは男の素性だった。殺された男の所持品から、男の名はダル・ピントというイタリア人だということがわかった。軍隊の中ではかなりの地位を占めている士官で、妻子は近郊の町に住んでいた。


ラベンナ行政府の長であるルスコーニ枢機卿lxxxv[5]はダル・ピントを殺した犯人に賞金をかけて見つけ出そうとしたが犯人は見つからなかった。ただ、犯行に使われた古い型のピストルだけがバイロンの屋敷のすぐ近くで発見された。バイロンは気が気ではなかった。まだ人の往来がある夕方に自宅の前で殺人事件が発生したというだけで身に危険を感じるのは当然すぎるほど当然だったが、バイロンにはルスコーニ枢機卿や犯罪捜査の担当者に絶対言うことのできない犯罪の真相の可能性、つまりダル・ピントがカルボナリとオーストリアの二重活動家(ダブル・エージェント)だったために殺されたという可能性を信じる十分な根拠があった。その根拠とは他でもない、殺人事件が自分の屋敷の前で行われたということだった。
「もしもダル・ピントがカルボナリとオーストリアの二重活動家(ダブル・エージェント)だったとしたら・・・。」とバイロンは考えた。「彼がどちらに本当の忠誠をつくしていたのかと関係なく、ただ、厄介者だというだけで排除するべきだと考える者がいてもおかしくはない。それはカルボナリとオーストリアのどちらの人間なのだろうか・・・。」
考えるまでもなく、ダル・ピントを殺した犯人がカルボナリのメンバーであることはほぼ間違いないとバイロンは思った。イタリア人をいくら不当に抑圧していると言っても、体制側であるオーストリアの官憲は厄介者を排除するのに隠れた手段を使う必要はなかった。一方、カルボナリは地下組織でもあり、いくら多数の愛国者が参加しているといっても体制に反抗する脆弱な組織にすぎなかった。こう推論した時、バイロンは身震いを覚えた。

(読書ルーム(102)に続く)

 

 

[ラベンナの一風景]

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【参考】

かわまりの映画ルーム(93) 夏の嵐(1954). 〜 破れかぶれの悲恋 9点】  をご覧になれば当時(ウィーン反動体制)の下でのイタリアがどれほどオーストリアに抑圧され、オーストリア人がどれほどイタリア人に憎まれ、オーストリア人にどんな形にせよ心を寄せたり協力したりするイタリア人、特に貴族が蔑まれたかがわかります。ネタバレですが、貴族として個人的な感情を捨てて愛国心と自尊心を取る主人公に同情できます。悲劇はこのように高貴な結末でないといけません。