黄昏のエポック - バイロン郷の夢と冒険

かわまりの読書ルーム II

【読書ルームII(20) 黄昏のエポック- バイロン郷の夢と冒険】

第ニ話 優しき姉よ (一八一四年 ~ 一八一六年 イギリス  3 /6)

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「親愛なるエスター
Bの姉が逗留しています。彼女を観察しているうちに彼女がどういう人なのかわかってきました。彼女がBに生き写しだだったせいで、最初に出会った時には彼女は知性が鋭く気性の激しい、感受性の強い女性だと思いました。でも、最初の印象というのはあてにならないものです。彼女は結婚してから、ほとんど一年か一年半の間をあけて四人の子供を産みました。これは一体何を意味しているのでしょうか。彼女は汲めどもつきない泉のような女性です。汲めどもつきない言葉で詩を書くBとこの点で通じるところがあるのかもしれません。彼女の軍人の夫は粗野で横暴だという話を耳にしたことがあります。もちろん彼女から聞いたわけではありません。Bがそう匂わし、嘆かわしいと感じているようです。私には信じられないのですが、彼女はそれでも夫を尊敬し、夫につくしているのです。子供たち全員に対しても彼女は優しい母の気配りを忘れません。このようにして牝牛のように愛情を搾り取られている彼女と惜しみなく言葉をつくして詩を書くBとが身を寄せ合い、いつくしみあっているような気が私にはするのです。私には入っていけない二人だけの世界があるような気がするのです。
自分のことばかり書いてごめんなさい。また新しい家庭教師の口を探し始めたとのこと。
うまくいくといいと思います。あなたが自分で決めたことを私はあくまでも尊重します。


あなたの変らない友


アナベラ・M・バイロン

 


一八一五年四月十七日、アナベラの母の兄、つまりアナベラの伯父であるノエル子爵が亡くなった。遺言で後継ぎのないノエル子爵の膨大な資産はアナベラの母に、そして子爵の位はアナベラの父のラルフ・ミルバンク卿によって受け継がれることになっていた。ミルバンク卿は自分の家系よりも由緒正しいノエル子爵家の家名を正式に名乗り、ミルバンク男爵家は記録の上では断絶することになった。そして、アナベラの他に子供のないミルバンク夫妻が死去した後、ノエル子爵の称号を継ぐ者はアナベラとその夫のバイロンしかいなかった。バイロンは六代続いたバイロン男爵の家系を断絶させるのではなく、短い二つの苗字を組み合わせて「ノエル・バイロン子爵」とするのが適当だが、今までバイロン男爵で通ってきた自分がいきなりノエル・バイロン子爵を名乗るのではなく、アナベラのお腹の中の子からそう名乗るのがいいと考えていた。アナベラが妊娠したことと爵位と財産の問題で大きな進展があったことで全てが良い方向に変っていくはずだとバイロンは信じていた。しかしアナベラは夫には財産のことも爵位のことも何も語らなかった。初夏の陽気が訪れてもオーガスタはまだピカデリー街のバイロンの家で暮らしていた。子供達が寝静まった夜、オーガスタは職場であるセント・ジェームズ宮に出入りする人々のことなどを話し、バイロンは静かに聞き役になっていた。田舎で育ったアナベラには職業婦人のオーガスタが経験していることは想像もつかなかった。アナベラが退屈そうにしているのを見てバイロンが言った。
「もう二階に上がって寝なさい。君は普通の体じゃないんだから。」とバイロンが言い、アナベラはおとなしく夫に従った。しかし、ベッドに横になってもアナベラは神経が高ぶって眠ることができなかった。階下ではバイロンオーガスタの姉弟が水入らずの時を過ごしているはずだった。アナベラはふと、夫は自分に対する思いやりからではなく、姉と二人きりになるために自分に先に寝るように言ったのではないかと疑った。目を閉じても眠れないまま、アナベラは夫が寝室に上がってくるのをじっと待った。そして、終に階段を上がってくる夫の左右不均等な重たい足音を聞いたが、足音だけを聞いたわけではなかった。夫の重たい足音と共にオーガスタの軽やかな足音、それだけではなく二人の笑いさざめく声までもが階段を上ってくるのをアナベラは聞いた。二人の足音はアナベラが横たわっている寝室のドアの前で止まり、オーガスタが「おやすみ。ジョージ」と言い、バイロンが「おやすみ。」と答えるのをアナベラは聞いたが、その後バイロンが寝室の扉を開けるまでのほんの数秒がアナベラには何分にも何時間にも感じられた。「二人は寝る前のキスを交わしている。」アナベラはこう思い、頭に血が上った。


夏が過ぎて秋が来たころ、バイロンはもうすぐ対面できるアナベラのお腹の中の子供のことを思ってうきうきしていた。アナベラは鬱々と過ごしていたが、バイロンはアナベラが気難しいのは体調のせいか、でなければ出産の不安のせいだろうと思った。

(読書ルームII(21) に続く)