黄昏のエポック - バイロン郷の夢と冒険

かわまりの読書ルーム II

【読書ルームII(84) 黄昏のエポック- バイロン郷の夢と冒険】

第七話 レディー・キャロライン (一八一二年初-一八一四年、イギリス  3/16)

 

一週間後、そして二週間後、次第に変化していく自分の周りの空気を感じながらバイロンホランド・ハウスの広間の入り口に置かれた長椅子に座り、集まった男の中に金髪の巻き毛頭を探し、ワルツに乗って踊る人々を傍観していた。バイロンの「ハロルド卿の巡礼」は貴族院議会場での処女演説のちょうど一週間後に発売になった。「ハロルド卿の巡礼」発売のすぐ後、バイロンは版を重ねた「イングランドの詩人とスコットランドの批評家」に次ぐ詩本を発表できた誇りと安堵感を胸に抱きながらホランド男爵家で踊る人々を眺めた。しかし、二週間後にはバイロン自身の心情だけではなく、周囲の人々の何かが異なっていた。長椅子に泰然と腰掛けているバイロンに踊りながら視線を注ぐ男女が心なしか増えたような気がした。そして、帰りがけにその日の従者のロバート・ラシュトンが、二週間前と同じ宛名書きのない白い封筒をバイロンに差し出した。


「明日の夕方五時に、メルボルン・ハウスで是非、お会いしましょう。入り口で名前を言っていただくだけで結構です。

匿名夫人(レディー・アノニマス)」


次の日の夕方、バイロンは好奇心を抑えきれずに家を出た。手紙は不可解だったが、メルボルン・ハウスは社交場であり、危険な場所ではなかった。また、手紙の内容があまりに単純なので、ふざけて書かれたようにも思えなかった。


バイロンと従者のフレッチャーがロンドン市内のホワイトホールにある白亜のメルボルン・ハウスに騎馬で到着し、ドーリア式の円柱のある玄関をくぐって氏名を告げると、受け付けた者はバイロンが来るのを待ち受けていたかのように乗ってきた馬を繋ぐ場所と従者の控え場所をてきぱきと指示した。バイロンフレッチャーに指示を伝えようと一旦外に出たが、周囲を見回したその時、バイロンは金髪の巻き毛頭をした小柄なジョン・エーデルトンが騎馬で屋敷の裏に向かう後ろ姿をはっきりと見た。従者のフレッチャーがバイロンの馬を引きながらその後ろに従っていた。


「一体、何がどうなっているんだ。」とバイロンは呟いた。「急に頭がおかしくなったのか・・・エーデルトンを悼む一連の挽歌(エレジー)がうまく出来たせいで一時はひどかったエーデルトンへの哀悼の気持ちも少しずつ緩んできているというのに、エーデルトンの幽霊を見るなんて・・・。」
バイロンがこう考えながらジョン・エーデルトンの後ろ姿を見送っている時、ふいに誰かが後ろからバイロンの肩を叩いた。バイロンが驚いて振り返ると先輩詩人のトマス・ムーアが立っていた。その後には詩人で文芸評論家のサミュエル・ロジャースもいた。

 

「いつかは君が来るということはわかっていたんだ。奥方(レディー)と一緒に騎馬で出かけて、ちょっと寄り道をしたら帰る時間が遅れて、君が今日来るかどうかはわからないのに、奥方の慌てようは普通じゃなかった。僕らとは男物の乗馬服を着て平気で会うのに、君と初めて出会う時には絶対にドレスを着ていないといけないと言って、君に顔を合わせなくてもいいように裏口から屋敷の中に入っていった。」とムーアが言った。
「奥方というのは?」とバイロンは尋ねるとロジャースが答えた。
メルボルン子爵の跡取り息子ウィリアム・ラム卿の夫人キャロライン・ラムだよ。もっとも、ウィリアム・ラム卿はメルボルン子爵の息子ではないというもっぱらの噂だけれどね。どこの馬の骨かわからない男の種ではなくて、やんごとなき貴公子の・・・皇太子の種という説もあれば某公爵の種だという説もあって・・・。」
バイロンはロジャースの余計な話に耳を傾けていなかった。玄関に入るまでにロジャースは話題を変えるはずだった。ホランド・ハウスの周囲でバイロンホランド男爵夫人の奔放な離婚と再婚の話を耳にしたことがあった。ホランド男爵夫人の話題とロジャースが話すメルボルン夫人の話題のどちらにもバイロンは反感を持った。一体、どんな無軌道なことをすれば男が妻から一方的に離縁されるのか、バイロンには想像もできなかった。また、いくら身分の高い男の種であるといっても自分の種ではない息子が爵位を継ぐなどというのは恐ろしいことだとバイロンは思った。


玄関に入るとロジャースは言った。「ラム夫人とは以前から文学を通じて親しかったんだが、『ハロルド卿の巡礼』のゲラ刷りを見せたら、えらく気に入ってね。もう、君に会いたい、会いたい、そればかりだ。彼女は僕に紹介を依頼したんだが、奥方(レディー)の気まぐれのために君に時間を割いてもらうのも悪いと思ったし、彼女が自分で何とかすると思ったので放っておいた。」
ロジャースとムーアと共に客間に案内され、三人で世間話をしながら待っていると、入り口の扉が静かに開き、匿名でバイロンを招待したラム夫人が現われた。ラム夫人は胸に切り替えのある流行の美しいドレスをまとっていたが、一寸の隙もないその優雅な姿に一点だけ相応しくないもの、それは男のように短く刈り込んだ金髪の巻き毛頭だった。その瞬間、バイロンは全てを理解した。バイロンがジョン・エーデルトンに後ろ姿がそっくりだと思った人物は女だったのである。


「閣下(ロード)。お目にかかれて光栄です。私はレディー・キャロライン・ラムと申します。」とラム夫人は落ち着いた口調で言った。「閣下が最近出された詩本『ハロルド卿の巡礼』に私ども一同、心酔しきっております。これからも頻繁に来ていただきたので、今日はまず、館の中をご案内し、それから閣下(ロード)を私の義理の両親でこの館の主であるメルボルン子爵夫妻にご紹介しいたします。」
重々しい調度品や油絵に飾られた邸内を案内され、当主のメルボルン夫妻の肖像画の前まで来た時、年齢は五十歳前後でふくよかな顔立ちに往年の色香と現在の威厳の両方を漂わせるメルボルン子爵夫人の、最近のものであるという肖像画を見ながら、バイロンはさっきロジャースが話した次代メルボルン子爵の血筋のことを思い出さないわけにはいかなかった。「あの裏切り者の摂政皇太子は若かった頃に今では進歩(ホィッグ)党の盟主になっているメルボルン子爵夫人と関係したんだ・・・。」とバイロンは出っ張った腹をした皇太子と不品行で名高いキャロライン皇太子妃の姿を思い浮かべた。

(読書ルームII(85) に続く)

 

 

【参考】

キャロライン・ラム、第2代メルバーン子爵ウィリアム・ラムの妻については第三話の【参考】で既に言及しましたが今一度掲げて起きます。 ウィキペディア 

文才に恵まれていたがバイロンを含む数々の相手との不倫によって有能な政治家だった夫のウィリアム・ラムを衆議院選挙(改選)で落選させ、爵位を継いで貴族院議員となるまで政界からの一時引退を余儀なくさせた。ウィリアム・ラムは政界復帰後に支持者の要請を受けてキャロラインと離婚し、首相の地位に上りつめた。詳しくは上に掲げたウィキペディアのURLの記事をお読みください。

 

ウィリアム・ラム (第2代メルバーン子爵) (ウィキペディア)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%83%A0_(%E7%AC%AC2%E4%BB%A3%E3%83%A1%E3%83%AB%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%B3%E5%AD%90%E7%88%B5)?wprov=sfti1

 

TO THYRZA.[t][29]

WITHOUT a stone to mark the whose deepening crimes

Suit with the sablest of the times,

Of one, whom love nor pity sways,

Nor hope of fame, nor good men's praise;

One, who in stern Ambition's pride,

Perchance not blood shall turn aside;

One ranked in some recording page

With the worst anarchs of the age,

Him wilt thou know—and knowing pause,

Nor with the effect forget the cause.

Newstead Abbey, Oct. 11, 1811. [First published, Life, 1830.]