黄昏のエポック - バイロン郷の夢と冒険

かわまりの読書ルーム II

【読書ルームII(93) 黄昏のエポック- バイロン郷の夢と冒険】

第七話 レディー・キャロライン (一八一二年初-一八一四年、イギリス  12/16)

 

バイロンは書きさしの事務の手紙を脇に押しやり、びっこを引きながら客間に向かった。両夫人は客間で立ったままうろたえていた。
バイロン卿、家にいらっしゃったので安心しました。」と二人の貴婦人は口々に言った。
「僕は今日は朝から家にいますが、一体何ごとですか?」
「キャロが行方不明になったんです。」とメルボルン夫人が言い、ベスボロー夫人はハンカチを顔に当てて泣き崩れた。
「明日、アイルランドに出発する予定でした。ウィリアム・ラムも従者たちもみんなそのつもりで、支度で忙しくしている最中に肝心のキャロが消え失せてしまったんです。私たちはすぐにバイロン卿を疑ったので飛んできました。」とメルボルン夫人が言った。
「ラム夫人はここには来ていませんが、僕にも責任の一旦があるような気がするので、ラム夫人を探すお手伝いはしましょう。お二人ともメルボルン・ハウスに戻って待っていてください。僕がきっとキャロを探し出しますから。」バイロンはこう言って二人の貴婦人を返すと外出の支度をした。
しかし、乗馬服に着替えて乗馬の鞭を取った後でただ闇雲にラム夫人を探しても埒があかないということに気がつき、鞭を元の場所に戻すとフレッチャーを呼んだ。
フレッチャー、君はラム夫人の容姿を説明することができるだろう。」とバイロンが尋ねた。フレッチャーができると答えるとバイロンはさらに尋ねた。
メルボルン子爵家の紋章がどんなものか、説明できるか?」

「それはできません。」とフレッチャーは答えた。
「春の間に僕が着ていた夜会服のどれかのポケットにラム夫人がくれたメルボルン子爵家の紋章つきのハンカチがある。それを探し出して、その紋章のある馬車を探すよう、急ぎの仕事がない者に言うんだ。ラム夫人が行方不明になった。もしかしたら男装して騎馬で逃げているのかもしれないがそうだったら目立つから彼女を探すのは簡単だ。そうだ、メルボルン家に行って、手の空いている使用人に手伝わせるよう、メルボルン夫人に頼んでみよう。」


バイロンの指示でフレッチャーはてきぱきと動きだした。夕方までに、手分けをしてラム夫人を探したメルボルン家とバイロンの使用人たちは、ラム夫人がメルボルン家の馬車を駅舎に乗り捨て、別の馬車を借りてロンドンのある医者の家に向かったことをつき留めた。アパートで待機していたバイロンフレッチャーと共に騎馬で家を出た。
バイロンフレッチャーは駅舎に馬を預けると馬車を借り、ラム夫人が隠れているという医者の家に向かった。ラム夫人がそこを隠れ家に選んだ理由はわかっていた。ラム夫人は噂話がかしましい社交界とは無関係な信頼できる人物の家を選んだようだった。医者の家に到着するとバイロンは出てきた医者に向かって平然として言った。
「僕はラム夫人の弟です。ラム夫人を連れに来たので会わせてください。」
快い返答をして奥に入った医者がラム夫人を連れて玄関まで出てくると、ラム夫人はバイロンの姿を見るなり床にしゃがんで泣きじゃくり始めた。
「やはり、迎えにきてくださったのね・・・。」とラム夫人はしゃくりあげながら言った。
「迎えにきてどこに連れていくと思っているんだ。」
「地中海・・・。」
「馬鹿!」とバイロンはつっぱねた。周囲には、思いがけず始まったメロドラマに医者の使用人たちが集まり、その中央で医者がわけがわからずに目をぱちくりさせていた。わけがわかっているフレッチャーは無表情でたたずんでいた。
メルボルン・ハウスに戻るんだ。馬車も用意してある。」バイロンはこう行ってラム夫人の腕をつかんで強引に立ち上がらせ、外に待たせてある馬車へと促した。バイロンとラム夫人が乗った馬車が動きだすと、バイロンはそっぽを向いてすねているラム夫人に語りかけた。
「なあ、キャロ。君は不貞なんてみんながやっていると思っているのかもしれない。君の姑のメルボルン夫人だって若いころやりたい放題をやっていた。だから自分だって・・・、そう思っているのかもしれない。でも、世間が人妻の不貞を大目に見るのは、その妻の夫が妻とは比べ物にならないほど凡庸な場合だけだ。おい、聞いているのか?」
ラム夫人は黙って馬車の窓の外を眺めていたが、バイロンのほうをちらっと振り向いただけでまた窓の外を見た。
「いいか、これだけは肝に銘じてほしい。君はラム卿なしには生きてはいけない。ラム卿の寛大な庇護の下にいるからこそ、ラム卿という君をいつでも受け入れてくれる夫がいるからこそ、君はやりたい放題のわがままをやってのけることができるんだ。君と僕との関係についての世間のやかましい噂はラム卿の人柄が卓越しているからこそ生じているんだ。君と知り合って、君が僕に対して好意をもってくれているとわかった時、僕はもしかしてあの非のうちどころのないラム卿は私生活では君に不満を持たせるような欠点を持っているのかもしれないと思った。公の場でラム卿を知っている男なら誰だって、完璧に近いと言われているラム卿にどんな小さなことでもいいから勝りたいと思う。僕もそう思っていたから、自分にはラム卿よりも勝る点があるのかもしれないと密かに喜んだ。だが、今は違う。おい、聞いているのか?」
(読書ルームII(94) に続く)