黄昏のエポック - バイロン郷の夢と冒険

かわまりの読書ルーム II

【読書ルームII(96) 黄昏のエポック- バイロン郷の夢と冒険】

第七話 レディー・キャロライン (一八一二年初-一八一四年、イギリス  15/16)

 

「親愛なるバイロン
君のミルバンク嬢への求婚の顛末について、僕には特別な感想はない。メルボルン夫人から伝えられた言葉がそのままミルバンク嬢ものだと仮定しての話だが、君は単に回答を延期させられただけじゃないか。これは賢くて自尊心のあるミルバンク嬢としては当然のことだと思う。彼女は君とラム夫人とのスキャンダルの火消し役として利用されるのが嫌なんだ。君と彼女が結婚してラム夫人のスキャンダルが収まれば、彼女の従兄であるウィリアム・ラム卿やメルボルン夫人にとってはありがたいことだ。だから、彼女がメルボルン夫人経由で伝えられた君の求婚の真偽に疑問を持っている可能性もある。君には結婚の意志はないのにミルバンク嬢に対してはその意志があるように言い、一方で君に対してミルバンク嬢と結婚するように工作する、なんていうのは権謀術数家のメルボルン夫人にとってはお手のもので、メルボルン夫人はそういうことを今まで幾度となくしてきた。ミルバンク嬢はメルボルン夫人のそういった性格もよく知っている。だから結局、君が本当にミルバンク嬢と結婚する気があるなら、ラム夫人との噂をメルボルン子爵家の協力なしでもみ消すことが先決だ。そして、今度はメルボルン夫人経由でなく、君がミルバンク嬢に直接求婚するべきだ。僕が説明した奥の手を実行に移すことにする。


九月になったらチェルテンハムの温泉に行きたまえ。この時期、この田舎町にはホランド男爵夫妻やジャージー卿夫妻、ロードン卿夫妻らが滞在して、普段はロンドンでお互いに出会うこともない進歩(ホィッグ)党系のサロンの主催者たちが一堂に会してちょっとした社交が盛り上がるはずだ。彼らは衆議院選挙を前に、意思統一を図るために集まるんだ。ウィリアム・ラム卿の支持者もその中には多い。ロンドンにいる間に僕はこれらの人々の間を駆けずり廻って意見を聞き、オックスフォード伯爵夫人が僕らの目的には最適だという結論に達した。オックスフォード伯爵夫妻ももちろんこの臨時社交場の出席者だ。ラム卿とは異なってオックスフォード伯爵には政治家としての人望はあまりない。メルボルン・ハウスやホランド・ハウスはホストとホステスの両方の人望と魅力で人を集めているが、オックスフォード夫人の急進的なサロンは夫人一人の魅力でやっているようなものだ。君に勝手に決めて申しわけないんだが、もうオックスフォード夫妻、夫人だけではなく夫のほうにも事情を説明して了解を取ってある。オックスフォード夫人は君よりもかなり年上だが、君よりも三つ年上のラム夫人よりもずっと魅力的に映ると僕は確信している。僕は最初にラム夫人の姿を見た時から、ラム夫人の床掃除のモップみたいな巻き毛頭が気に入らなくて、君がこんな女に惚れるというのが信じられなかった。君とオックスフォード夫人が本当に恋仲になるかどうかはお任せする。ただ、ラム夫人と君とがそうだったように、どこに行くにもオックスフォード夫人と一緒にいてくれればそれでいいんだ。君とオックスフォード夫人が恋仲だという噂が立たなくても、ラム夫人との噂をもみ消すために一緒にいるという噂が立つだけでも構わないんだ。衆議院の選挙も迫っているから進歩(ホィッグ)党と再選を狙うラム卿のためにどうかよろしく頼む。


ところで、アイルランドに戻って、ベスボロー夫人にまた会う機会があった。ベスボロー夫人によると、キャロは君がまだ自分を愛しているが、メルボルン夫人に説得されてしかたなく自分と別れることにしたと思っているらしい。オックスフォード夫人の協力がやはり必要なわけだ。それとは別に、キャロはラム卿に許しを乞い、ラム卿は大きな包容力でもって彼女を許したそうだ。ベスボロー夫人はラム卿に対して涙を流さんばかりに感謝していた。


僕は、もしもラム卿のような男と結婚できる保証があるなら、女に生まれてもいいと思うほどラム卿に惚れこんでいる。僕と同じ気持ちの進歩(ホィッグ)党員も多いと思う。そのラム卿を裏切るなんて許しがたい罪だ。もっとも、ラム卿は男にもてる男であって、女にはもてないのかもしれない。そうだとしたら彼は根っから政治家に向いているのだろう。君は女にもてる男だ。身の振り方をよく考えたまえ。


君の変らない友、J. C. ホブハウスlxxv[7]」


九月の始め、バイロンはホブハウスに言われたとおり、温泉町のチェルテンハムに向かった。静かな温泉町ではメルボルン一族を除いた進歩(ホィッグ)党の各派の指導者が集まり、来る衆議院選挙に向けて連日政策論議を展開していてオックスフォード伯爵夫妻と顔を合わせることは容易だった。オックスフォード伯爵夫人に紹介された時、夫人はバイロンを見ていたずらっぽく微笑んだ。夫人の豊かな栗色の髪と黒い瞳、ミルクを流したように白い肌に紅く染まった頬はバイロンにスペインのセビリアやカディツの少女たちを思い出させた。


「男爵バイロン卿でいらっしゃいますね。ホブハウス氏からこの身に余る役割をいただく以前に、閣下(ロード)の詩は拝読しておりました。でもホブハウス氏のお話しをうかがった時には正直言って慌てました。もう一度、『ハロルド卿の巡礼』を本棚から取り出してきて最初から最後まで読みなおして、心に響く詩句を暗唱しようと努力しました。」


バイロンはオックスフォード夫人の略歴についてはすでに聞かされていた。夫人は貴族ではなく、極めて知的な牧師の娘として生まれた。もしも、伯爵の跡取り息子に見染めらなかったら、夫人は自分と同等の牧師階級の男と結婚するか、メアリー・ウルストンクラフトlxxvi[8]のように女家庭教師をしながら自らの道を切り開くか、あるいは小説家ジェーン・オーステンのように結婚せずに今でも独身だったかもしれなかった。『ハロルド卿の巡礼』を聖書をのように読み返したというオックスフォード夫人の言葉にバイロンは面映い思いをした。

(読書ルームII(97) に続く)