黄昏のエポック - バイロン郷の夢と冒険

かわまりの読書ルーム II

【読書ルームII(27) 黄昏のエポック- バイロン郷の夢と冒険】

第三話 ため息橋にて (1816年秋-1818年初、イタリア  4/13)

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バイロンは大型ヨットを二人の水夫と共に借りきってホブハウスをジュネーブ湖一周の旅に誘った。「見物するのは三ヶ月前にシェリーと一緒に見たのと同じもの、宿泊する宿も同じだ。」
バイロンは言い、ホブハウスは悪戯っぽい青い瞳をしたシェリーにまたもや嫉妬を覚えた。
最初の宿に着いて料金や部屋の交渉をした直後、ホブハウスはバイロンがゲスト・ブックの過去の部分をめくっているのに気がついた。三軒目の宿屋でバイロンがまたゲスト・ブックを遡ってめくっているのを見てホブハウスはバイロンをからかった。
「自分の高名な名前がまだ残っているかどうか確かめているのか?」とホブハウスが言うとバイロ
ンは笑いながら答えた。
「いや、そんな自惚れた理由じゃないんだ。必要があるからやっているんだ。」
こう言いながらバイロンはめくったページを見せた。そこには見慣れたバイロンの名前と肩書きに並んで「パーシー・ビッシュ・シェリー無神論者」と記帳されていた。
「この『無神論者』という肩書きを消して回っているんだ。こいつが有名になった暁に、一人でも多くの読者を獲得できるようにな。」
こう言いながらバイロンは「無神論者」と書かれた部分をインキで真っ黒に塗りつぶした。
「世話のやける男なんだが、才能に溢れていて、とてもかわいいんだ。」とバイロンは言った。


十月の初め、アルプス地方に羽のような雪が舞い降り始める直前にバイロンバイロンの小姓を務めながら少年から一人前の青年になったロバート・ラシュトンをイギリスに返し、農夫あがりの従者フレッチャーを連れ、ホブハウスと共にナポレオンが四年の歳月と延べ数千人の労働力をかけて完成したという公道を経てイタリアに入国した。最初の滞在地はミラノだった。ナポレオン戦争終結後のヨーロッパの行く末を協議したウィーン会議の結果として、ミラノを中心都市とするイタリアのロンバルディア地方はヴェニスと共に「ロンバルディアヴェニス王国」という名ばかりの傀儡国家としてオーストリアの傘下に入っていた。

 

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[ミラノの大聖堂(デュオモ)]


到着して数日以内に、バイロンとホブハウスはオペラで有名なスカラ座が格好の社交場だということを発見した。バイロンはこの地の自由主義者の動きに関心を持っていたが、ジュネーブに逗留していた詮索好きなイギリス人旅行者のうちの一人で先にミラノに到着していたバイロンを知る紳士が、スカラ座バイロンに声をかけ、バイロンとホブハウスの二人を数人のミラノの自由主義文人に紹介した。イタリア語が不得手なホブハウスにはバイロンとイタリア人との会話は理解できなかったが、ある時、バイロンとホブハウスはアンリ・ベイルxii[3]という亡命中のフランス人作家に紹介された。ホブハウスは「ハロルド卿の巡礼」のフランス語訳を読んだというアンリ・ベイルが、「あなたはイギリスのジャン・ジャック・ルソーです。」という、ホブハウスから見れば最高の賛辞をバイロンに贈ったのを聞いたが、それに対するバイロンの斜に構えた反応にホブハウスはいささかがっかりさせられた。バイロンはベイルに向かってこう答えた。
「でも、ジャン・ジャック・ルソーは時計職人の息子でしょう。」
バイロンとホブハウスがミラノのスカラ座で桟敷を借りてバレーを鑑賞している時だった。バイロンの後ろから誰かがフランス語で声をかけた。
「閣下(ムッシュー)、ちょっと失礼します(エクスクゼ・ムア)。」
バイロンとホブハウスが振り向くと後ろに立っているのは制服を着た警官だった。バイロンは警官を頭のてっぺんから靴まで眺めてから言った。
「何だ(ク ワ)?」
それから後のバイロンと警官の会話はイタリア語だったのでホブハウスには理解できなかったが、会話の中で「ポリドリ」という名前を聞いたとホブハウスは思った。

 

結局、バイロンは立ち上がるとホブハウスに向かって言った。
「ちょっと行ってすぐに戻ってくるよ。もしも公演が終わった後だったら正面玄関を入ったところで待ち合わせしよう。」
バイロンはこう言ったがホブハウスは立ち上がると言った。
「いや、僕も行く。何か役に立てることがあるかもしれない。」

(読書ルームII(28) に続く)

 

【参考】

アンリ・ベイル =  スタンダール (ウィキペディア)

 

スカラ座 (ハテナブログ)