黄昏のエポック - バイロン郷の夢と冒険

かわまりの読書ルーム II

【読書ルームII(26) 黄昏のエポック- バイロン郷の夢と冒険】

第三話 ため息橋にて (1816年秋-1818年初、イタリア  3/13)

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半年以上前の一八一六年四月二十五日、船で大陸に向けてイギリスから出立したバイロンを、ホブハウスは波止場で船の帆先が水平線のかなたに隠れるまで手を振って見送った。しかし、それはバイロンとの再会を危ぶんだからではなかった。実際、ホブハウスは家の中の細々としたことや小作人に関する事務的な仕事を片付けたらすぐにもヨーロッパに出かけてバイロンと合流するつもりでいた。バイロンがどこかに場所を定めてくれさえすれば、それは難しいことではなかった。それなのになぜ、腕がだるくなるまでバイロンの乗った船に向かって手を振りつづけたのか、ホブハウスにはその理由がわかっていた。その出立がバイロンとイギリスとの決定的な訣別となるかもしれなかったからである。

 

バイロンとイギリスを繋ぐものはもはや、執事からの送金と彼からイギリスに送られる詩の原稿しかない。」とホブハウスは思い、そしてバイロンからイギリスに向けて初めて送られた原稿「ハロルド卿の巡礼 第三巻」と「チロンの囚人」が悪童のような目つきをしたパーシー・ビッシュ・シェリーによって運ばれたことに嫉妬を感じた。


バイロンとホブハウスは八月の下旬、ジュネーブ湖畔で再会した。バイロンを家(ヴィラ)に尋ねたのはホブハウスだけではなく、ケンブリッジ大学時代の共通の友人スクロープ・デービスもホブハウスと共にはるばるイギリスから来ていた。


それに先立ち、ケンブリッジ大学の卒業生である三人がバイロンの家(ヴィラ)で合流することを知って、オックスフォード大学を中退したシェリーは帰国の意志を固めていた。生活資金の問題やイギリスに残してきた妻ハリエットのことなどもあり、シェリーが二人の女性と赤ん坊、そしてスイス人の乳母からなる大所帯を率いてバイロンと共にイタリアに向かうことはむずかしかった。そこでシェリーは正面きって今後のことをバイロンと話し合うことに決めた。
その話し合いの席上にメアリーの姿はなく、話し合いが行われたのはバイロンシェリー、クレアの三人の間だった。この顔ぶれのせいで、バイロンはクレアのお腹の中の子供に関して、今まで信じていたことをひっくり返すような事実が暴露されるのではないかと最後の瞬間まで期待と恐れが半々の気持ちを抱いていたのであるが、シェリーはメアリーを会合から除外した理由については全く触れず、クレアは自分のお腹の中にいるのはバイロンの子供であるという主張を変えなかった。結局、バイロンに従ってイタリアに行きたいというクレアをシェリーが説得してイギリスへの帰国を納得させた。そして、子供が生まれたら自分の姉オーガスタに育てさせたいというバイロンの意向にクレアは猛反対し、生まれた子供は当面はシェリーとメアリーが育てることで決着がついた。
ホブハウスとデービスがレマン湖畔のバイロンの家(ヴィラ)に来て数日後、シェリーらはイギリスに向かう帰国の途につき、しばらくしてデービスも単独の旅に出るために去った。その直後、バイロンはホブハウスの忠告に従ってポリドリを解雇した。バイロンほど傑出しているわけではないが、評論や紀行文の出版歴があり、自らを中堅の文人だと考えているホブハウスは、才能もないのに文学を志す青年の迷妄にはバイロンよりも敏感で、ポリドリの文学に対する情熱が偽りだということを素早く見抜いていた。
「ジョン・ポリドリには患者の病状を生真面目に記録するのが合ってるのさ。」とホブハウスはバイロンに言った。
「やつは感受性が鈍いのか、それとも感じたことを言葉で表現できないのか、どちらかはわからない。しかし、あいつが書く文章は幼年学校の綴り方の文章に毛が生えた程度だよ。一言で言えば陳腐なんだ。勉強家らしいから、書き方のコツは学ぶことができるだろう。でも、感じ方が未熟なんだ。君にくっついても彼には給料以外に得るものはないし、君にとっても彼はさして重宝な人間ではないんだから、さっさとイギリスに返して本業に専念させたほうがいい。」ホブハウスはこう言いながら、今まで多くの機会にバイロンと同じものを見聞きしてきたはずなのに、ある時は華麗に、ある時は力強く、またある時は鋭い言葉でもって衆人に訴えかけることができるバイロンと、見聞きしたものを丹念に報告するだけの自分との差がどうして生じるのか疑問に思わないわけにはいかなかった。
(読書ルームII(27) に続く)