黄昏のエポック - バイロン郷の夢と冒険

かわまりの読書ルーム II

【読書ルームII(4) 黄昏のエポック- バイロン郷の夢と冒険】

第一話 レマン湖の月 (一八一六年夏 スイス 4/17)

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約三ヶ月前の一八一六年四月二十五日、バイロンは医者のジョン・ポリドリ、従者のウィリアム・フレッチャーとロバート・ラシュトンの三人を伴い、イタリアを目指して荒波が逆巻く英仏海峡を渡った。再び故郷イギリスに戻れるあてはなかったが、重たい気持ちとは裏腹に持ち物は少なく身軽だった。持っていくはずだった何冊かの愛読書は競売にかけられてなくなり、数個のトランクの中に詰め込まれた主なものは、イギリス貴族としての体裁を保つために最小限必要な衣類だけだった。手元の荷物の中には詩稿を書くために必要なもの一式、そして姉から送られた聖書があった。


ベルギーの港町オステンドに到着して一泊した後、バイロンの一行はすぐさま馬車を手配して陸路イタリアへと向かう大陸横断の旅へと出発した。バイロンは感興のおもむくままにベルギーのフランドル地方の工芸品を買いあさったり、レンブラントやヴァン・ダイクの絵画を鑑賞したりした。たった一年前にナポレオンが英普墺の連合軍と戦い、敗れたワーテルローで、バイロンは時代の移り変わりの感慨を新たにしようとしたが、戦場はすでに激しい戦闘の形跡をあとかたも留めないほどのどかな田園に変貌していた。


ベルギーからプロシア領に入り、ライン渓谷の景観に圧倒されつつ馬車での旅行は続いたが、バイロン一行は医者のポリドリの馬車酔いや消化器官の不調による腹痛によってしばしば立ち往生させられた。ポリドリの体調が比較的良好な時には無理なく馬車旅行が続けられたが、バイロンはポリドリが文学で成功する秘訣を自分から盗もうとしているということにその頃から気づいていた。そればかりではない。ポリドリが自分の作品の出版者であるマレーからいくらかの金を受け取り、バイロンをつぶさに観察してその言動を記録し報告することを約束していることもバイロンは薄々知っていた。


「スキャンダルのヒーロー、アイロン男爵の逃避行中の言動か・・・こういうネタは売れるんだろうな。勝手にしやがれ・・・。」

バイロンは妻との別れ話が進行中だった年の初めに公にされた「アイロン(鉄)男爵と妻との別離」という題名のふざけた漫画を思い出し、はき捨てるようにつぶやいた。


ライン河をさかのぼってコブレンツやマンハイムに宿泊し、バーゼルでスイス国内に入り、イギリス出立から約一ヶ月後の五月二十三日の夜中に一行はジュネーブに到着し、ホテル英国(オ テ ル ・ ト ゙ ・ ラ ンク ゙ ル テ ー ル)に宿泊することになった。


翌朝、旅の疲れて遅くまで朝寝をしたバイロンが従者のロバートを伴って市内の散策に出かけようとした時、フロントの係りがバイロンを呼び止めた。
「旦那様(ムッシュ ー)、あなたへの伝言があります。」
こう言ってフロント係りが差し出した、折りたたまれた紙片をバイロンが広げて見ると、そこには見慣れた筆跡で短い伝言が書かれていた。
「閣下(ロード)、私と姉、姉の恋人と子供の四人でこのホテルに滞在しております。お目にかかるのを楽しみにしております。 クレア・クレアモント」


クレア・クレアモントらがそのホテルに滞在しているのは偶然ではないことをバイロンは知っていた。イギリスにいた頃、バイロンはクレアに妻との別れ話が決着をみたら自分はイタリアのヴェニスに行くつもりだ、と何度も語った。水と太陽の都ヴェニス、それはバイロンが自ら選んだ流刑の地であり、ナポレオンにとってセント・ヘレナ島が流刑の地ならヴェニスバイロンにとってのセント・ヘレナ島だった。ただ、クレアが、バイロン一行がジュネーブに短期間ではなく必ずや長期に渡って滞在するだろうとどんな気持ちで考え、ジュネーブのホテル英国(オ テ ル ・ ト ゙ ・ ラ ンク ゙ ル テ ー ル)でバイロン一行を待つよう姉とその恋人に懇願したのか、その時のバイロンには推測してみるだけの心の余裕がなかった。

 

そして、その日の夕方、バイロン一行はシェリーの一行と出逢った。


二十四歳にしては少年のようなシェリーと十八歳にしては大人びたシェリーの恋人メアリー・ゴッドウィン、二人の間の子供で生まれてまもないのウィリアム、そしてバイロンとの再会を待ちわびていたメアリーと同じ年のクレア・クレアモントの全員がバイロンの目には幼い子供のように映った。クレアの目は心なしか潤んでいた。

(読書ルームII(5) に続く)