黄昏のエポック - バイロン郷の夢と冒険

かわまりの読書ルーム II

【読書ルームII(48) 黄昏のエポック- バイロン郷の夢と冒険】

第四話 青い空、青い海 (一八○九年夏 ~ 一八一一年秋 ポルトガル→スペイン→アルバニアギリシア→トルコ→ギリシア→イギリス  12/18)

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【作者からの一言】
この辺りから物語は第四話後半の佳境に入っていきます。スペインでナポレオンに抵抗する市民の強烈なナショナリズムを目撃したバイロンとホブハウスはギリシアで古代から綿々と続く文化に対する矜持に裏打ちされた民族主義を体感しました。かなりのフライングになりますが、貴族一門としてのバイロン家はバイロンが一門のシンボルだった元僧院の邸宅を借金返済のために売却し、家名自体も遥かに由緒ある妻の実家のノエル家に吸収されてしまい、ただイギリス文学史の上だけに詩人ジョージ・ゴードン・バイロンの名前が留められるに至ったのに対し、ホブハウス家はジョン・カム・ホブハウスが引き継いだ家業の発展、農業もしくは工業の発展に尽力し、雇用者や小作人の待遇なども非常に良かったようで、ジョン・カム・ホブハウスの代に男爵の爵位が与えられて貴族階級への編入を果たしました。二人がパルナッソスで見た瑞兆は二人それぞれの形で実現したわけです。

 

【本文】

食事の後でバイロンはマクリ夫人にドレスを借りに行き、ホブハウスにアルバニアでお揃いで買った豪華な衣裳をマクリ姉妹の誰かに貸すようにと言った。ホブハウスが戻ってくるとバイロンは鏡の前でしなを作っていた。
「やはり、鏡でよく見ると剃ったばかりの髭の跡が目立つ。イスラム教徒の女みたいに目だけ出すようにしなければ女らしく見えない。手伝ってくれ。」こう言うとバイロンは靴を脱いでベッドの上に上がり、窓のカーテンをはずした。
「何を始めるんだ。」とホブハウスが尋ねるまでもなく、バイロンはカーテンを頭から被って目だけ残して顔を覆おうとした。
イスラム教徒の女にばけるんだ。」
「そんなことしたら男に相手にされないぞ。何しろ未婚だろうが既婚だろうがイスラム教徒の女に手を出したら、腕を切られたり、大切なものを切られたりするんだから。」
「マリアーナや君が僕に手を出してもそうなるか?」
「馬鹿。僕やマリアーナだったら君からカーテンを引っぺがすだけだ。」ホブハウスはイスラム教徒の女に扮装するバイロンを手伝いながら言った。ホブハウスはバイロンが手に入れた衣裳を身につけ、頭にターバンを巻いて半月刀を携えたトルコ騎兵に扮装した。


バイロン、ホブハウス、そしてマクリ家の三姉妹は思い思いの扮装でキリスト教徒のギリシア人が踊り、はしゃぐ賑やかなアテネの街に繰り出した。人々の踊りはロンドン社交界の踊りのように型にはまったものではなく、ただ飛び跳ねるだけだったので、バイロンもびっこを引きながら参加できた。女装したバイロンは男装した次女のマリアーナと踊り、ホブハウスは長女のカティンカと三女のテレサと交互に踊り、はしゃぎ、うかれた。ホブハウスがテレサと踊った後、テレサは背伸びをしてホブハウスの耳に口を近づけると何か囁いた。ホブハウスはバイロンが踊り終えるのを待って言った。
テレサがね、僕と君とトルコ人同士で踊れと言うんだ。その格好だから我慢して、一生でこれが最初で最後だと思って男と踊ってみるか・・・。」
「僕はマリアーナと踊るほうがいいが、やってみるか。」とバイロンは言ってホブハウスに手を差し出して踊り始めた。男装のマリアーナが女装のテレサと組み、カティンカが楽しそうにはやしたてた。バイロンが言った。
「ほら、感じるだろ。これがギリシア人なんだ。スパルタの剣士やソクラテスソフィストなんかを思い浮かべるだけではギリシア人について十分にわかったとは言えない。彼らは何よりも東ローマ帝国の末裔なんだ。パンテオンxlviii[17]に祭られる神々を崇め、キリスト教を信仰する人々がここにこうして集っているんだ。」
バイロン、黙って踊れよ。声を出すと男だということがばれる。」

バイロンとホブハウスの踊りに一段落がついた時、マクリの三姉妹は「遅くなるとお母さまに叱られるから。」と言って家に帰ろうとした。ホブハウスは三人に、上の娘から順に額に接吻した。バイロンもホブハウスにならって口を覆う布をずらして三人の額に接吻したが、一番若いテレサに接吻しようとした時、テレサは顔をぽっと赤らめた。
家に戻る三姉妹を見送りながらホブハウスが小さな声でバイロンに囁いた。
「あのなあ、マクリの一番下の娘がはめをはずしたがっているんだ。カティンカが僕にそう言った。」
「マクリの一番下の娘って、十二歳のテレサがか?あの娘は踊りもカティンカやマリアーナほどには踊らずにおとなしかったじゃないか。」
「はめをはずすっていうのは人前で踊ることじゃなくて、人が見ていない場所ではめをはずしたがっているんだ。」
「一体何のことだ?」
「で、君がご指名なんだ。」
「おい、そんなはめのはずしかたあるか。はめのはずしすぎだ。」
テレサは本気らしいぞ。マリアーナと君が踊っているのを嫉妬に狂った目つきで眺めていた。あの年頃だと、男でも女でも親に反抗したくなるものだ。多分、テレサはマクリ夫人と喧嘩でもして、反抗するために処女をどぶに捨てたがっているんだそうだ。」
「僕がそのどぶだというのか?」
「そうじゃないけれど、とにかく間違いなく君が彼女のご指名なんだ。」
「冗談じゃない。マクリ夫人に会わせる顔がなくなるじゃないか。」
「じゃあ、マクリ夫人の公認ならテレサのためにはめをはずしてもいいのか?マクリ夫人は三人の娘のうち一人か二人を君か僕かにもらってほしいと考えているらしいぞ。」
「君と僕とがマクリの娘を一人づつもらったら残った一人が可哀想じゃないか。僕は三人全員ならもらってやるが一人か二人は嫌だ。全員をイギリスに連れて帰ってからまともな結婚をすれば妻が四人になってコーランで定められた定員をちょうど満たす。」
「君はいつからイスラム教徒になったんだ。マクリの娘たちを見てからだろう。でも、彼女たちは見てのとおりキリスト教徒だぜ。」
「マクリの娘たちに強姦されないうちに僕らはここから逃げ出したほうがいいのかな。」とバイロンは言ったが、二人はアテネに長期滞在する大きな意義を見出していた。

(読書ルームII(49) に続く)

 

 

【参考】

パンテオン (ハテナ)