黄昏のエポック - バイロン郷の夢と冒険

かわまりの読書ルーム II

【読書ルームII(51) 黄昏のエポック- バイロン郷の夢と冒険】  

第四話 青い空、青い海 (一八○九年夏 ~ 一八一一年秋 ポルトガル→スペイン→アルバニアギリシア→トルコ→ギリシア→イギリス  15 /18)

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ホブハウスと別れたバイロンフレッチャーと通訳と共にアテネに戻った。しかしマクリ夫人の家ではなく、先の滞在中に目をつけたギリシア正教の僧房に宿を求めた。ここでバイロンは学僧と生活を共にし、フレッチャーは僧房の仕事を手伝い、バイロンの次の出立までの間、二人で禁欲的な戒律に染まって生活することになっていた。


僧房の生活に慣れた晩夏のある日、バイロンは数ヶ月前にホブハウスと二人で訪れたアクロポリスの丘を今一度訪れた。通訳だけを連れて僧房を立つと、バイロンは神殿に通じる聖道の脇に馬を留めて通訳を見張りにつけ、パルテノン神殿の廃墟を仰ぎ、黙々と丘を登った。壮麗なイスラム寺院が立ち並ぶコンスタンチノープルの光景やトロイがあったと言われるダーダネス海峡を望む丘陵地帯が脳裡に蘇った時、バイロンは神殿の廃墟に向かって拳を振り上げた。熱い涙がバイロンの頬を伝った。
「ああ、自由の源泉よ、われらの精神の始祖よ!栄光の民とともにそれらはどこに消え去ったのだ?」神殿に向かってこう問いかけながらアクロポリスの丘をバイロンは黙々と登った。
「パラス・アテナ神よ、答えたまえ。イリオンの民li[20]やその他諸々の未開の諸民族を威圧したあなたの胸当てはどこに消えたのだlii[21]?あなたが育まれた自由の精神はあなたが愛した栄光の民と共にどこに消え去ったのだ?」


バイロンは空想の中の女神パラス・アテナに語りかけながら丘を登った。コリント地峡のかなた、ペロポネソス半島のはるか西のイオニア海の果てに沈んでいこうとする夕陽が丘を登ろうとするバイロンの背中に呵責なく照り付け、ドーリア式の廃墟の円柱が茜色に染まった時、バイロンはまだ問いの答えを得ることができず、額に汗して両足で不均等に丘の急な坂を踏みしめながらパルテノン神殿を目指していた。
「ああ、なおも黙すのか、すべて黙すのか?liii[22]」とバイロンは呟き、振り返って沈んでいく夕陽を見つめた。そして、今度はアクロポリスの丘を振り仰いだ。その時、バイロンははっきりとアテナ神と栄光の民の声を聞いたと思った。
「ただ一人の生者よ、ただ一人よ、立て、われらは従うであろうliv[23]。」
夕闇の中に沈んでいこうとするアテネの市街を背景に、夕陽を浴びたパルテノン神殿の廃墟はバイロンにはひときわ輝いて見えた。
「そうだ、生きて歴史に問いかけることのできる人間を僕らは英雄と呼ぶ。はるか彼方から激流のように語りかけてくるこの死者の声に答えることができる人間が英雄と呼ばれるのにふさわしいのだlv[24]。」


日が暮れてから、松明もなしにただでさえも不自由な脚でアクロポリスの丘を降りることは危険だとバイロンは判断し、空想の中で聞いたアテナ神と古代ギリシアの死者の声を何度も口の中で繰り返しながら丘を降りた。


その夜、通訳と共に僧坊に戻ったバイロンは熱を出した。立って歩こうとする目の前でと壁や床や天井が廻った。「これはイズミールでホブハウスを襲った熱と同じだろうか、いや、違う。」とバイロンは思った。「ホブハウスはひどい虫歯を抱えていたし、一時期耳も聞こえなかった。」


翌朝もバイロンは体がだるく、起き上がることができなかった。フレッチャーに身の回りの世話をさせながら、バイロンアクロポリスの丘で聞いたアテナ神と古代ギリシアの死者の声を繰り返し思った。
「熱が引いたら詩を書かなければならない。歴史に問いかける者を僕らは英雄と呼ぶ。」


三日ほどして熱が引いたのでバイロンは僧坊の机に向かって思いつく限りの詩句を書き留めた。脚韻は構わずに、頭から奔流のように流れ出てくる律をなす言葉全てを無我夢中で書き留めた。
「汝を見る心の冷たいこと!美しいギリシアよ!汝に涙することもない目の空ろなことよlvi[25] !しかし、汝の空はいまだ青く、汝が抱く絶壁はいまだ険しい。汝の森は甘く、汝の原には緑が満ちる。芸術と自由が潰えても、汝の自然はいまだ美しいlvii[26] 。」


バイロンは元どおり健康になったらさらに東方へ、おそらくはシリアのダマスカスかエルサレムへと旅をしたい気持ちを持っていた。しかし、イベリア半島ギリシアを旅して得た印象があまりに強く、ギリシアではまだ学ぶべきことがあまりに多かった。一方で手紙をよこしはするがバイロン家の財政上の問題には一切触れないハンソンがそういった問題をどのように処理しているのかが気にかかった。更なる東方への思いは断ち難たく、バイロンはトルコ政府から中東への上陸許可も取得していた。しかし、今までの旅行で得たものを数え上げてみた時、それらは詩作の材料としてもこれからの生きる指針としても十分すぎるほど十分だった。バイロンは帰国の時期を来年の春にし、それまでは詩作と勉強に専念することに決めた。


僧房に到着してからバイロンギリシア文化に造詣の深い数多くの知識人と知り合った。望んでいたロマイカ語の習得に相応しい教師も見つけることができた。カーニバルで触れた東ローマ帝国の末裔として息づいているキリスト教文化に染まったギリシア人だけではなく、古代ギリシアの高い文明を誇りに生活している文化人を発見したことでバイロンは勇気づけられ、これらの人々に支配されるギリシアの明るい未来を初めて思い描くことができた。しかしそんなある日、外出した際にバイロンイスラム教徒の一団が一人の女を皮袋に入れて引き立てている様子を見た。バイロンが同行していた通訳に訳を尋ねると通訳は、皮袋に入れられている女は断食月の間に不貞を犯し、コーランの定めるところに従って皮袋に入れられたまま海に沈められるのだと説明した。

(読書ルームII(52) に続く)

 

 

【参考】

アクロポリスの丘 (ハテナ)

 

アクロポリスの丘 (ウィキペディア)