黄昏のエポック - バイロン郷の夢と冒険

かわまりの読書ルーム II

【読書ルームII(110) 黄昏のエポック- バイロン郷の夢と冒険】

(第八話 暴風雨 (一八一八年 ~ 一八二二年 イタリア 13/17 )

 

夕食の後で長旅で疲れきったハント家の人々はさっさと寝室に引き下がり、バイロンシェリー、ウィリアムズの三人が居間に残った。シェリーは上機嫌だった。
「彼が創刊する雑誌はきっと、うまくいきますよ。」とシェリーは言った。「僕は彼に協力するためだったら原稿取りの使い走りの役までやりますから。」
「うまくいくといいな。」とバイロンが言った。バイロンは年の初めに長年付き合いがあった出版者のマレーに丁重に出版を断られた「決定版、審判の幻影」を出版してくれる出版者をまだ探していた。しかし、リー・ハントが雑誌を創刊するからといって、その雑誌に「決定版、審判の幻影」の掲載を依頼することには気が進まなくなっていた。その理由は、シェリーの懇願によってバイロンがすでにハント一家の渡航費用のかなりの部分を負担し、その上自宅まで無料で提供しているからに他ならなった。リー・ハントの雑誌に「決定版、審判の幻影」の掲載を依頼することは、バイロンにとって自分の作品を金を払って出版してもらうのに等しい気がした。また、リー・ハントが発行する雑誌というのは急進的な自由主義を主張する評論を発表するのが目的だろうとバイロンは予想していた。そこで、バイロンシェリーに尋ねた。
「ところで、君は評論を寄稿するのか?」
「散文と詩の両方です。去年、僕はピーコックxcvi[16]に対抗して詩論を書きました。この詩論はそのままでは長すぎますから、リー・ハントの雑誌の目的に添った部分だけ抜粋して書き直してみるかもしれません。それから三韻句法(テルツァリ マ)で長詩を書いています。『生の勝利』という題名なんです。ヴェルギリウスに導かれたダンテの地獄から天国に至る旅xcvii[17]を模倣しているんですが、僕の作品はもっと近代的で、僕の案内役はジャン・ジャック・ルソーです。閣下の『決定版、審判の幻影』はもしかしたらリー・ハントの雑誌の創刊号に掲載されるかもしれませんが、その次には僕の『生の勝利』を掲載できるよう頑張って書いています。閣下は三韻句法では詩を書かれないですか?」
「僕は目下、八韻句法(オッタヴァリ マ)xcviii[18]に凝っているからね・・・。」とバイロンは答えた。
「僕は閣下に三韻句法(テルツァリ マ')の作品をなるべく早く書いていただこうとは思いません。ダンテは三韻句法で百巻からなる『神曲』を書きましたが閣下は八韻句法(オッタヴァリ マ)で『ドン・ジュアン』百巻を書いてください。」
「冗談じゃない。」
三人はこう言って笑いあった。

 

シェリー。」トバイロンが言った。
「君は『エウガネイの丘にて』で完全にワーズワースを超えたね。」
「そうでしょうか?」とシェリーが答えた。
ワーズワースは湖や空が美しいと言う。それだけだ。でも、君の詩からは自然とそこで生きる人間との関わりが感じられる。人間がいるからこそ自然には意味があるんだ。言い換えれば、人間が自然に意味をもたせる。君は自然の意味を描くことに成功している。」
「ありがとうございます。」とシェリーは素直に言った。
「閣下はキーツをお嫌いなようなので『アドニス』は評価していただけなかったかもしれませんが、
アドニス』を書いた時から僕は死を超える永遠について考えてきました。今度の『生の勝利』では生きることの意義を徹底的に追求したいと思います。」
「頑張れよ。」とバイロンが言ってグラスを掲げたのでシェリーとウィリアムズもそれに倣った。
「ところで・・・。」とウィリアムズがバイロンに尋ねた。
「閣下はせっかく購入されたボリバル号で航海なさらないんですか?」
ウィリアムズのこの質問はバイロンにとっては痛かった。六月半ばにボリバル号がジェノバの船舶工場から別荘近くの埠頭に届けられてから間もなく、バイロンが散歩に出かけたついでにボリバル号を見に行くと、ボリバル号の船体に大きな貼り紙がしてあった。
「この船で近海を航行することを禁じる。 警察署」
バイロンボリバル号でシェリーの別荘を訪ねることができない理由を説明した。
「近海でなければ航行してもいいんだそうだ。あるいは一度航海に出たら二度と戻ってくるなという意味でもあるらしい。ベネズエラxcix[19]にでも行ってしまえ、ということらしい。」
「それは残念でした。」とシェリーとウィリアムズが口々に言った。
「君たちは、一週間ほどしたらヨットでうちに帰ると言っていたが、またリヴォルノ経由でピサに来るんだろう。そしたら、シェリー、そのときには『生の勝利』を始めのほうだけでもいいから見せてくれたまえ。」とバイロンは言った。
「もちろんです。でも、写しがいつできるのかわからないんです。」とシェリーが答えた。
「メアリーがいつでもやってくれるんだろ。いいな、君は自分で筆写をしなくていいから。」とバイロンが言うとシェリーは真顔になって言った。
「メアリーは今、筆写ができるような状態じゃないんです。彼女は二週間前に流産して、まだ寝たり起きたりの生活をしています。だから、今日も手伝いに来られなかったんです。」
「流産か・・・それは残念だった。」とバイロンが言うと、驚いたことにシェリーはいきなり甲高い声で「何ですって!」と叫んだ。しかし、すぐに表情を和らげて言った。
「そうか、また子供を亡くしたから『残念だ。』とおっしゃったのですね。でも、僕にとってはメアリーが死ななかったことが幸いなんです。ちょっとした英雄譚なんですが聞いていただけますか?」
こう言ってシェリーは話し始めた。

(続く)

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