黄昏のエポック - バイロン郷の夢と冒険

かわまりの読書ルーム II

【読書ルームII(114) 黄昏のエポック- バイロン郷の夢と冒険】

(第八話 暴風雨 (一八一八年 ~ 一八二二年 イタリア 17/17)

 

翌日、ヴィアレッギオ近辺の漁民たちが、かつては詩人パーシー・ビッシュ・シェリーだった、その見るもおぞましい物体を麻布でくるみ、ボートに乗せて悲劇の結末を確かめようと人々が集まった場所まで運んできた時、その集団の中にバイロンの姿はなかった。人々はウィリアムズの時と同じく、頭蓋骨鑑定の専門家であるバイロンシェリーの遺体を確認することを期待していたのだが、香油をしみ込ませた布で口を覆った捜索者たちは姿を消したバイロンのことは諦め、朽ちかけた肉体以外の衣服などから遺体の身元を特定する手がかりを探そうとした。トレローニーが遺体の上着のポケットを探って小冊子をとりだした。潮に濡れて開くこともままならないその書籍の著者はジョン・キーツ、書籍の題は「レーミア」だった。英語の詩集をポケットに入れて持ち歩く人間はシェリー以外にはあり得ない、ということで人々の意見は一致した。遺体はウィリアムズと同様、火葬に附されることになった。


この頃、バイロンは河口の向こう側のかなたに停泊しているボリバル号を目指して泳いでいた。腰に巻いた布がほどけそうだったが気にも留めなかった。腰布がほどけて生まれたままの姿になってもボリバル号にたどり着けば替わりになるものが何かある、また何もなければ帆布がある、とバイロンは思った。


「一八一六年の夏、レマン湖畔でシェリーに泳ぎを教えておくべきだった。」バイロンは思った。もう何度目になるかわからなかった。「空気の妖精のようなあの男は水を怖がっていた。だからヨットなどに金を使うべきではなかったのだ・・・。」この考えももう数え切れないほどの回数、バイロンの心中に浮かび、そして消えていった。
「思えばヨットの『ドン・ファン』という名前も不吉だった。トレローニーがヨットの楽しさについて語った時、シェリーは『僕が船を所有したら閣下の作品の名前をつけたいんですが、いいですか?』と尋ねた。『ドン・ファン』という名前だけはやめてくれ。』と言ったらシェリーはすぐに『だったら、僕が大好きなシェークスピアテンペストにちなんで、空気の妖精エアリエルを船の名前にするかもしれません。』と言った。シェリーが業者に名前の変更を伝えたのに船腹に『ドン・ファン』という名前が書かれたままヨットが届けられたのも、すべてが悪い予兆だった・・・。」


バイロンは無我夢中で泳いだ。頭を水から出して薄暮の中に霞む入り江の向こう岸を仰いだり温度を失いかけている海水に頭をつけたりする平泳ぎの動作を繰り返しながら、バイロンの頭の中は熱く混乱していた。やがて、太陽が水平線の彼方に沈む頃、バイロンは目の前の景色がぼやけて見えるのはあたりを包む夕闇のせいなのか、それとも熱を帯びた頭から両眼を通って流れ出る涙のせいなのか、自分でもわからないまま、ただひたすら泳いでいた。

(「第九話 スコットランドの荒野にて(一七九八年 イギリス)」に続く)