黄昏のエポック - バイロン郷の夢と冒険

かわまりの読書ルーム II

【読書ルームII(109) 黄昏のエポック- バイロン郷の夢と冒険】

(第八話 暴風雨 (一八一八年 ~ 一八二二年 イタリア 12/17 )

 

f:id:kawamari7:20210906200702j:image
[現在のリヴォルノの入江から対岸を望む。対岸にバイロンの避暑地があった。]

 

「閣下(ロード)。」とシェリーが言った。バイロンが振り向くとシェリーは続けた。
「リー・ハントがとうとうイタリアに来ることになりました。」
リー・ハントがイタリアに来るという話しは、前年の冬にシェリーに「決定版、審判の幻影」の写しを見せた時にすでに聞いていたが、その後のいろんな出来事やアレグラの死によってバイロンは自分の創作以外の面倒なことに関わる意欲を失っていた。
「それで・・・?」とバイロンはわざととぼけて聞き返した。

「閣下(ロード)はリー・ハントが大きな仕事をここですると思われないのですか?」
「さあ・・・。」
自由主義を擁護する評論や文芸作品を掲載する雑誌を発刊するんですよ。」
「誰が寄稿するんだ。」
「閣下や僕や、イタリア人の自由主義者、そしてメアリーも子育ての傍ら、母親を超える文筆家を目指して努力しています。」
バイロンはまた海を見つめた。バイロンにはシェリーとウィリアムズの目的が薄々理解できていた。シェリーはリー・ハントをその大家族と共にイタリアに連れて来るための協力を要請しにきたのだとバイロンは思った。バイロンと長年付き合いのあった出版社の経営者マレーとの間の関係は、一年前に発行された「ドン・ジュアン」の第五巻に多数の誤植が発見されて以来、ぎくしゃくしていた。自分が抱えている出版社との問題、とりわけ過激な内容の「決定版、審判の幻影」の出版の問題などの弱みなどをシェリーは知り尽くした上で自分に更なる援助を要請しにきたということがバイロンにはわかっていた。「小賢しいやつだ。」とバイロンはいまいましく思った。しかし、リー・ハントがイタリアに来ると決めてその計画の最初の頃に賛意を示してしまった以上、今さら、その気になっているリー・ハントやシェリー、その他協力を申し出た人々を落胆させるわけにはいかなかった。バイロンシェリーのほうを振り向くと言った。
「住む家なんかを確保してほしいというんだろ。」
シェリーは黙ってウィリアムズのほうを見た。
「ランフランチ邸をしばらくの間、無料で貸そう。」とバイロンは静かに言った。
シェリーとウィリアムズは肩の荷が降りたとでもいうような表情で帰っていった。バイロンはできの悪い子供に金をねだられては断れずに子供の言いなりになっている親のような気分になり、困惑していた。しかし、ピクニックの際の事件でシェリーに怪我をさせたこと、その時に自分が行った自由主義を標榜する演説、アレグラの死など、すべてがバイロンの立場を弱くしていた。


シェリーとウィリアムズが次にヨットに乗ってバイロンの別荘を訪れたのは七月一日だった。従者が二人の到着を知らせるのとほとんど同時に玄関先でシェリーの甲高い声が響いた。
「閣下(ロード)。リー・ハントがとうとうやってきました。リヴォルノで僕たちを待っています。昨日、ジェノバに到着して、すぐにリヴォルノ行きの船に乗ったと知らせてきました。」
シェリーとウィリアムズが訪れた時、バイロンは執筆に没頭していたわけではなかったが、ピクニックでの事件の責任を一身に背負わされたピエトロと父ガンバ伯爵が翌日七月二日にその件でリヴォルノの裁判所に出頭することになっていて、バイロンはそのことで頭がいっぱいだった。二人は過去三ヶ月間にフィレンツェの裁判所にも召還されていたが、バイロンフィレンツェのイギリス公使などを通じて二人に有利に事を運ぼうとしたのにもかかわらず、結果は芳しいくはなかった。しかし、シェリーと共にリー・ハントとその一家を招き、しかも自分が住んでいる場所を一時期ハント一家に明け渡すことにした以上、一家が落ち着くまで面倒を見ないわけにはいかなかった。


バイロンは四頭立ての馬車に御者をつけ、シェリー、ウィリアムズと一緒に騎馬で入り江の向こうのリヴォルノの港に赴いてリー・ハント一家を出迎えた。ハント一家は牧師の息子で苦学して評論家の地位を築いたやせぎすのリー・ハント、顔色が悪くて咳ばかりしているその妻マリアンヌ、そして外国についたせいで興奮してわけもわからず騒ぎ立てている六人の子供からなっていた。リヴォルノからピサまでは十マイルほどの道のりをハント家の一行と荷物を乗せたバイロン馬車はバイロンシェリー、ウィリアムズの三人の馬に守られて歩み、一行は無事、バイロンが通常居住するランフランチ邸に到着した。
バイロンは「決定版、審判の幻影」の原稿をリー・ハントに渡すことを忘れなかった。バイロンシェリーのようにリー・ハントから恩を受けているわけではなかったが、かつてリー・ハントとその兄が出版物のせいで投獄された時にはしばしば面接に赴いたことがあり、古今の話題がつきなかった。


六人の子供を含めた賑やかな夕食の際、到着を祝って乾杯をしようとバイロンが従者に蒸留酒を振舞わせたが、生真面目なリー・ハントとハント夫人は蒸留酒を断ってグラスに半分ほどのワインで乾杯した。屋敷に到着した時からバイロンは、理想主義者の夫に従順に使えるハント夫人が邸内を見回す際の贅沢を蔑むような目つきが気にいらなかった。

(続く)

https://kawamari7.hatenablog.jp/entry/2021/09/06/195838

 

f:id:kawamari7:20210906200752j:image

[リヴォルノの一風景]