黄昏のエポック - バイロン郷の夢と冒険

かわまりの読書ルーム II

【読書ルームII(78) 黄昏のエポック- バイロン郷の夢と冒険】

第六話 若き貴公子(一八○五年夏 ~ 一八○九年夏  イギリス  15/18 )

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僕がこの宝石をいとおしく思うのは
みせかけの輝きのせいではない。
この石が光り輝いたのはほんの一瞬、
石は元の持ち主と同じくバラ色に染まった。
僕たちの友情を知る者で
女々しいと言って僕をあざ笑った者もいる。


それでも僕はこのささやかな贈り物を大切にする。

僕はこれをくれた人に愛されているんだもの。
その人はうつむき加減になってこの石を僕に渡した。
僕が「いらない。」と言うのが怖かったんだ。
僕はその贈り物を受け取るとこう言った。
なくしてしまうことだけが怖いよ。
(「紅玉の贈り物」より)


「ああ、エーデルトン、エーデルトン、エーデルトン・・・。君は僕の全てだ。どうか、どうか、戦争が長引かずに、君の病気も長引かずに、平和な世の中で好きなことを思う存分やって幸せになってくれよ・・・。」
バイロンは片時も離さず、鎖を通して首にかけて身につけているエーデルトンから受け取ったハート形をした紅玉の指輪に触れては祈った。バイロンは翌年の国会の開幕前に成人し、翌年から成年貴族として貴族院の議事に参加できることになっていたが、その前に賃貸期限が切れて完全に自分の所有物となったニューステッドの屋敷に戻ってみようと考えた。ニューステッドに帰る途中にケンブリッジに寄って仲間に会うつもりもしていたが、ロンドンからケンブリッジに向かう途中でバイロンはあることを思いついた。


ケンブリッジに到着したバイロンはすぐに馬車から外した馬にまたがり、ケンブリッジに数多くあるわけではない仕立屋に出向いた。バイロンが探したのはトリニティー・チャペルの聖歌隊に制服を下ろしている仕立屋だった。チャペル御用達の仕立屋はすぐに見つかり、バイロンはそこでチャペルの聖歌隊の制服を自分の体格に合わせて仕立てるように注文した。
「旦那が聖歌隊の制服を着るんで・・・?」といぶかる仕立屋にバイロンは「代金なら前払いするぞ。」と言ってそそくさと店を出ようとしたが、出口でふと思いつくと振り向いて言った。「黒いラシャ布で作ってくれ。」


ケンブリッジからニューステッドに立つ日、仕立屋から黒いラシャ地の聖歌隊の制服を受け取ったバイロンは帰る道すがらもエーデルトンのことばかり考えていた。
「エーデルトンの病気が治れば、エーデルトンは戦争にかり出されるかもしれない。いや、真面目なエーデルトンのことだから銀行で重宝がられていたのに違いない。きっと銀行に戻るだろう。でも、わからない。戦争では若い男が大勢必要とされる。エーデルトンもきっと・・・。」
バイロンの頭は混乱した。今になってマシューズが語った社会の法則や「神の見えざる手」の話を思い出し、バイロンの頭は余計に混乱した。
「マシューズ、僕のエーデルトンのあんなみじめな様子を見ても君は社会の法則や神の見えざる手の存在を信じるのか?僕はそんなものは信じない。世の中には不正がいっぱいだ。エーデルトンのような、天使のような心を持った者が幸せになれないなんて・・・。人を一人殺したら人殺しとして死刑なるのに、戦争を起こして大勢の人間を殺す者が政治家や将軍としていばっているのは本当にひどい不正じゃないか。」


ニューステッドに到着するとバイロンは使用人たちの歓迎に対して顔をほころばせることもなく、その日の夜から書斎にこもりきりで鬱々として哲学書シェークスピアの悲劇を読み耽った。気が向くと、水泳でマシューズに勝つためにせっかく鍛えた体がなまるのを恐れ、黙々とサンドバッグに向かった。

 

ある日、バイロンが戸外の新鮮な空気に触れ、読書で疲れた目を癒そうと馬を駆っていると道端で農民が穴を掘っているのに出くわした。

「何をしているんだ?」とバイロンが尋ねると農民は掘り返した穴から土の塊のようなものを取り出してバイロンの馬の足元に投げた。
「井戸を掘ろうとしたらこんなものが出てきやした。縁起でもねえ。」
バイロンが目をこらすとそれは人間の頭骨だった。
「ここまで掘ったからにゃ、水に出くわすまでほらにゃならん。しかし、骸骨に出くわすとは・・・。」
「その骸骨をくれないか?」とバイロンは言った。「後で取りに来るから。捨てないで取っておいてくれ。」
こう言うとバイロンは馬を返して骸骨を包む布を取りに自分の屋敷へと向かい、道すがらつぶやいた。
ハムレット第五幕第一場。でも、ホレーシオがいない。」
農民から受け取った骸骨をバイロンは水にさらして真っ白にすると書斎に飾った。
「僕の屋敷は『アベイ』と呼ばれていることからわかるように、昔は僧院だったんだ。ヘンリー八世の勅令で僧院は全て廃止させられた。建物だけが残り、その後で王室に対して勲功のあった貴族に与えられた。この骸骨はもしかしたら、怨みを抱いて死んでいった修道士のものかもしれない。世の中は変わる。社会は変わる。捨てられた者たちの魂は永遠に彷徨うだけで、文学や美術でも後に残したのでなければ無言の骸骨に成り果てて僕等に語りかけるだけだ。」

(読書ルームII(79) に続く)

 

 

【参考】

ハムレット第五幕第一場 =   シェイクスピアの「ハムレット」の中で叔父でデンマーク王のクローディアの奸計を見抜いてデンマークに帰国したハムレットが墓掘り人が掘り当てたかつての遊び相手で宮廷道化師の骸骨を見ながら友人のホレーシオに哲学的な想いを語る場面。

 

(イギリス王)ヘンリー8世 (ウィキペディア)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%B3%E3%83%AA%E3%83%BC8%E4%B8%96_(%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89%E7%8E%8B)?wprov=sfti1