黄昏のエポック - バイロン郷の夢と冒険

かわまりの読書ルーム II

【読書ルームII(40) 黄昏のエポック- バイロン郷の夢と冒険】

第四話 青い空、青い海 (一八○九年夏 ~ 一八一一年秋 ポルトガル→スペイン→アルバニアギリシア→トルコ→ギリシア→イギリス  4/18)

このブログの内容全ての著作権はかわまりに帰属します。

 

シントラ見物とリスボンの目ぼしい場所や歴史遺跡の見学を終え、バイロンは従者のうち最年長のマレー老人をイギリスに帰すことに決めた。そして二人の従者と身の回り品以外の全ての荷物をジブラルタル行きの船に乗せる手はずを整えた後、バイロンとホブハウスは少年の従者ロバートだけを従えた三人で東に向かって馬を駆る旅に出発した。延々と続くコルク樫の森、野生の鹿、何千何万と群れる野鳥などを見て、本来なら歓声をあげても不思議ではない十代半ばのロバートが黙っていたのはやはり、この旅の目的は真実を発見することであり、非常な危険が伴っているということを熟知していたからだった。


最初の晩、一行は首尾よく宿屋に泊まることができた。それぞれが貴族と富豪であるバイロンとホブハウスは一緒に旅行する場合にでも別の部屋に宿泊するのが常だったが、今回は慣れない外国でしかも戦争中ということで三人が同じ部屋に泊まることにした。戦争中なのでよほどの必要がない限り人々の旅行は限られ、宿泊料も通常よりはねあがっていた。一行はベッドが二つある部屋を借り、マットレスを床にひきずり下ろして並べ、三人で横たわった。暑いので掛け布団は必要なかった。


「明日の朝、マットレスを元に戻して、一応形を整えておけばいい。ロバートはそういうこともうまくできる。」とバイロンが言った。
二日目の夜、三人はフランス軍が住民を虐殺したと伝えられるエボラに宿泊することができた。イギリスが住民にとって敵なのか味方なのかわからないまま、一行は通常の料金にかなりの額が上乗せされた法外な宿賃を支払わなければならなかった。
「明日、出立したら進路を南東にとって、アイルランド男の取った北東に向かう道筋とはいよいよお別れだ。」とバイロンが言った。
「うまく行けば、明日中に国境を越えてスペインに入ることができる。そこでは言葉も違えば、われわれイギリス人に対する感情も異なるんだ。」こうバイロンが言いホブハウスが「ポルトガル人は僕らイギリス人のことを貿易のことしか頭にない欲に眼がくらんだ連中だと思っているんだろうが、スペイン人はどうなんだろう?」とつぶやいた。
「すぐにわかるさ。」とバイロンが答えた。


翌日の晩、国境近くで残り少なくなったポルトガルの貨幣をちらつかせて民家の納屋に宿を借りた。次の日、国境の検問所で三人がイギリスのパスポートを提示した際、バイロンのパスポートを検閲したスペイン兵が「バロン・ジョージ・ゴードン・バイロン」と名前を読み上げると、周囲でそれを聞いた数人のスペイン兵が一斉に三人に向かって敬礼した。バイロンとホブハウスは顔を見合わせた。
「王党派かな・・・。」とバイロンが言った。
「一口に王党派と言っても、フランス大革命の時みたいに単純じゃない。ここにはチャールズ四世派とフェルディナンド皇太子派がいるんだぞ。」と言ったホブハウスにバイロンは「違いなんかあるものか。」と答えた。
「ナポレオンによって両方一緒に退位させられたんだからな・・・。この国はイギリスがマグナ・カルタxxxvii[6]を制定した頃にはイスラム支配下にあったんだ。革命も共和制も経験していない。もちろん議会もない。新しい思想による洗礼が必要なんだ。」
こう主張するバイロンの根強いナポレオン崇拝にホブハウスは苦笑した。バイロンら一行は、スペイン北部の平原と陽光溢れるアンダルシア地方の間に横たわるシエラ・モレナ山脈にさしかかった。そこでも一行は通行する人々の持ち物や装備、そして歩み方にまでも戦いの気配を感じないわけにはいかなかった。

 

f:id:kawamari7:20210826224455j:image

[大天使をかたどった風見の大きさだけでも15mの高さがあるというセビリアの大聖堂。バチカンのセント・ピエトロ大聖堂、ロンドンのセント・ポール大聖堂に次いで世界第3位の規模のゴシック建築の大聖堂の頂上部}


一行はリスボンを立ってから五日後の七月二十五日にセビリアに到着した。街はナポレオン軍の侵攻を恐れてスペイン北部から逃避してきた「難民」、そして抵抗軍(フンタ)とイギリス軍の急ごしらえの連合本部の設定に奔走する両軍の軍人たちで溢れ返っていた。ホテルの空室が見つからないまま、バイロン一行はイギリス領事を尋ね、領事の紹介でイギリス系スペイン人女性の家の狭い一室に押し込められて夜を過ごすことになった。
寝苦しい一夜が開け、三人はイギリス公使を尋ねた。文学に造詣が深い公使ジョン・ホックハム・フレーレは文学青年のバイロンとホブハウスの二人とゆっくり話しをしたかったのであが、バイロンら一行は一刻も早くセビリア見物を済ませて目的地のカディツに向けて出発したく思い、また公使も連合本部設定の多忙中だった。
「僕はこの街を一生忘れないだろう。」と鐘楼の上からセビリアの街並みを見下ろしながらバイロンがホブハウスに言った。
「ただ、来た時期が悪かったんだ。」
一行はスペイン人女性の家にもう一泊だけすると、早々に旅立った。スペインに入国してから道が平らでよく整備されているのが目立ったが、カディツに至る道も同様によく整備されているという公使の言葉を信じて、一行は楽な馬車の旅を選んでいた。体を休めることのできる馬車の外には見渡す限りの向日葵(ひまわり)畑が広がっていた。一行三人は軍人が奔走するセビリアの街の喧騒とは対照的な燦然たる風景に終始夢見心地で言葉を発することも稀だった。
一日の行程の末、一行はシェリー酒の産地として有名なセレスで宿泊することになった。
バイロンとホブハウスが身振り手振りを交えて宿の主人と料金の交渉をしている時だった。誰かが
後ろから声をかけた。
「旦那様がた(ム ッシュー)、すみません(シルヴプ レ)。」
フランス語で呼びとめられてバイロンとホブハウスの二人は振り返った。話しかけてきたのは商人風の身なりをした男だった。
「外国の方じゃありませんか(ヴゼテテ トランジェ)?」
こう言った男の話し方はフランス人のものではない、重たいスペイン語の訛りがあった。
「はい(ウ ィ)。でもフランス人じゃありません(メ ーヌ ・ ネ ・ ソ ン ・パ ・フ ラ ン セ ー ズ)。イギリス人です(ヌ ・ ソ ナ ン グレーズ。」とバイロンがフランス語で答えた。
すると、話しかけてきた男は後ろに従っていたもう一人の従者風の男のほうをふり返って嬉しそうにスペイン語で言った。
「仲間だ(エ ス タ ン ・アミーゴス)。フランス語が通じるぞ(アブラン・フランセス)。」
バイロンとホブハウスはこれを聞いて顔を見合わせた。男は満面に笑みをたたえてバイロンとホブハウスに歩み寄った。
「お話ししたいことがあるんです。いえ、お見せしたいものがあるんです。私の部屋に来ていただけませんか?怖がらないでください。私一人の部屋に小姓の方と三人で来てください。私は武器などもっていませんし、扉は開けたままでいいんです。ただ、ここでは無理なんです。」
バイロンもホブハウスも何が何だかわけがわからなかったが、質素な服に身を包んだ男の人なつこそうな風体に警戒すべきところはなく、「どうする?」「危なそうな様子でもないから行ってみるか。」と英語で簡単な会話を交わした後でバイロンが「では、行きます。」とフランス語で答えた。

(読書ルームII(41) に続く)