黄昏のエポック - バイロン郷の夢と冒険

かわまりの読書ルーム II

【読書ルームII(43) 黄昏のエポック- バイロン郷の夢と冒険】

第四話 青い空、青い海 (一八○九年夏 ~ 一八一一年秋 ポルトガル→スペイン→アルバニアギリシア→トルコ→ギリシア→イギリス  7/18)

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こうして、バイロンとホブハウスは忌み嫌っていた「アイルランド男」の実の弟に夕食に招かれ、アイルランド訛りがほとんど聞き取れない立て続けの饒舌で「アイルランド男」の自慢話をたっぷりと聞かされた。翌日には戦争が始まって以来開催が稀になっていた闘牛に招待された。


黒光りする雄牛の背中に何本もの槍が突き立てられ、ほとばしり出る真っ赤な鮮血がその毛皮を濡らしてはしたたり落ちて地面に吸い込まれていく様をホブハウスは野蛮以外の何ものでもないと思い、ふと、隣で観覧しているバイロンの表情を窺ってみた。バイロンはその整った顔立ちの落ち着いた表情を少しも変えることなく、ただ眼だけが爛々として眼前で繰り広げられる殺戮劇を凝視していた。


安息日が来た。祝福すべき休息の日が!
キリスト教の国土で、何がこの行いを神聖化するのか?
見よ!厳粛な宴に添えられたこの神聖な行事を!
聞け!森の王者の雄たけびを!
「ハロルド卿の巡礼」第一巻六十八節より


ホテルでの夕食の席でバイロンはロバートにペンとインクを持って来させ、ポケットからあり合わせの紙を取り出して書き付けた詩をホブハウスに見せた。
「イギリス文学始まって以来、初の闘牛の描写だな・・・。」とホブハウスが言うとバイロンは「そんなに大袈裟なものじゃない。イギリス文学でまだ描かれていないものは他にいくらだってあるさ。」と答えた。


翌朝、夜遅くまで飲んで地元の風変わりな踊りやコントなどを楽しんだバイロンとホブハウスは窓の外のただならぬもの音と声で朝早くに目を醒まさせられることになった。街路では群衆が口々に叫び、中には空砲を発射している者さえいた。海岸のほうから祝砲らしい大砲の音も聞こえた。
「おい、一体何事だ!」とホブハウスがバイロンの部屋に飛び込んできた。
「わからん。耳を澄ませよう。何を叫んでいるんだ?」
バイロンとホブハウスが耳を澄ますと群衆は「ケスタ!」あるいは「クェスタ!」という言葉を連呼していた。
「何が何だかわからんが、紙吹雪が舞ってるぞ。スカートをひらひらさせて踊っている女もいる。季節はずれのカーニバルみたいだ。」
その時、主人の部屋に来るよりも先に主人が起きる支度を気にしたロバートがタオルと水差しを持って部屋に入ってきた。
「閣下(ロード)、お出かけになるでしょう?」
「むろんだ。」
「これで顔を拭って・・・。髪の毛が乱れていますよ・・・。」
バイロンは寝癖のついた縮れ毛をかきむしり、ロバートが差し出した濡れたタオルを頭の上で絞ってから頭髪を撫ぜつけた。支度は十分とは言えなかったが、三人はとりあえず、馬を借りて騒ぎの原因をつきとめに行くことにした。
「クェスタ!クェスタ!ビバ、クェスタ!」と連呼する群衆は踊ったりさざめいたりしながら街の中心部に向かって歩いていた。
「とりあえず英国公使館に行こう!」とバイロンが言ったが、街の中心部で市庁舎と近接している英国公使館にたどり着くのは容易なことではなさそうだった。ホブハウスの馬が怖がって立ちすくんだ。怖がる馬と群衆の流れのせいで英国公使館にたどり着くのにはずいぶん長い時間を要した。群衆は市庁舎に向かって流れていくばかりではなく、英国公使館を何重にも取り囲んでいた。
「一体、何事だ・・・。」とバイロンとホブハウスはいぶかったが、公使館に答えを求め、馬の番のために玄関先にロバートを残し、二人はカディツの駅舎に到着した時に二人を出迎えた公使の秘書のエドワードという男をなんとか呼び出すことができた。
「『クェスタ』というのは一体何なのですか?」とバイロンが尋ねた。
「『クェスタ』というのは、セビリアの大抵抗軍(グラン・フンタ)に合流せずにマドリッド周辺で隠れて武器を確保
していた抵抗軍(フンタ)の分派の中で・・・。」
「もういい。もっと手短に説明できませんか・・・?」と、公使館にたどり着く道のりでいい加減苛立っていたバイロンがせかした。エドワードは言った。
「早い話しが、ウェルズリー伯爵のお兄さんが勝利を納めたんです。大勝利です。マドリッド郊外のタラベラで・・・。ナポレオンの軍隊は敗走しました。人々はそれを祝っているんです。『クェスタ』というのはウェルズリー将軍に合流した抵抗軍(フンタ)のリーダーの名前です。」
公使館を取り巻く耳をつんざく歓呼の中、昨晩は暑さのためか心労のためか眠りが浅かったらしい公使のウェルズリー伯爵も身なりを整えるのも早々といった風体で姿を表した。
「おめでとうございます。」とホブハウスが言った。
「ありがとう。」と公使が言った。
「これで、一つ、肩の荷が下りました。正式の政府に派遣されるのではなくて抵抗軍(フンタ)に向けて派遣された公使というのは骨が折れますよ。今夜は陸の上はスペイン人のお祭り騒ぎに任せてわれわれ
イギリス人は涼しい海上で、沖に停泊しているイギリス海軍の軍艦アトラスの上で祝賀パーティーを開きます。お二人も小姓(ページ)の方と一緒に是非出席してください。なに、パーティーに来ていく服がないって・・・お貸ししますよ・・・。」
馬の番をしているロバートにこの喜ばしい知らせを伝えるために歩きながらバイロンが言った。「ら、僕らが進歩(ホイッグ)党員だと知ったら、それでも僕らをパーティーに呼ぶかな?」
「関係ないよ。」とホブハウスが言った。「今日は僕ら全員イギリス人だ。それに彼らの親父たちは小ピットxli[10]が首相になるまでは進歩(ホイッグ)党員だったかもしれないじゃないか。」
アイルランド馬鈴薯を食いながらそうだったかもしれないな。」とバイロンが言った。
「ジョゼフ・ボナパルトがいなくなれば、また元のスペイン国王が戻ってくる。チャールズかフェルディナンドか?」
「スペイン人たちが自分で決めるさ。」とバイロンは答えた。

(読書ルームII(44) に続く)

 

【参考】

ウィリアム・ピット(小ピット) (ウィキペディア)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%83%94%E3%83%83%E3%83%88_(%E5%B0%8F%E3%83%94%E3%83%83%E3%83%88)?wprov=sfti1