黄昏のエポック - バイロン郷の夢と冒険

かわまりの読書ルーム II

【読書ルームII(119) 黄昏のエポック- バイロン郷の夢と冒険】

第九話 スコットランドの荒野にて(一七九八年 イギリス)5/5

 

アバディーンの街並みと仮住まいの掘立て小屋が見えるようになる前にジョージは前方のはるかかなたからこちらに向かって歩いている女の姿を見た。アグネスの夫だという騎手の男もほとんど同時にその姿を見たようだった。
「アグネスだ。」と男は言い、馬の歩調を速めた。アグネスは手を振りながら夫とジョージが乗った馬に駆け寄ってきた。アグネスの夫は馬から下り、喜びを隠し切れないと言った様子でアグネスと抱き合ってから二人同時に馬上のジョージを見上げた。
「まあ、坊ちゃん。みんな本当に心配したんですよ。神様のご加護で無事だったのね。聖書をしっかり抱えて・・・。」とアグネスは言い、エプロンの端で涙を拭った。
アグネスの若い夫は、馬にまたがったジョージはそのままにしてアグネスを馬の上に横座りに座らせ、自分は馬の前に廻した手綱を取って馬を引いた。帰りの道すがら、アグネスはバイロン夫人が受け取ったばかりの嬉しい知らせについてジョージに話した。一旦は援助を拒否したバイロン夫人の親戚の一人が、亡くなったばかりのジョージの大伯父で第五代バイロン男爵の資産について調べる手立てを持っていた。第五代バイロン男爵のいい加減な領地管理のせいで、男爵家の資産はかなり目減りしているものの、いまだ相当の価値があり、ジョージが第五代バイロン男爵の甥の子供だと証明することができ、名乗りを揚げた際に小作人たちや館の使用人たち、そして周囲の人々がその事実を受け入れるならばジョージは必ずや小公子(リトル・ロード)としてこれらの人々や領地に君臨する第六代バイロン男爵となることができると手紙の主は伝えた。そしてバイロン男爵家の資産と比べれば微々たるスコットランドからイングランドのニューステッドまでの旅費を貸す用意があるとその親戚はバイロン夫人に告げた。


それからの数日間、街の銀行に届けられた金を取りに行ったり、小屋の持ち主に申し訳ばかりの宿泊料を支払ったり、新しく子守りとしてイングランドに一緒に行くことになったアグネスの妹のメイに会ったりと、ジョージと母は目まぐるしい日を送った。そしてジョージと母、新しい子守り女のメイがイングランドに向けて出立する日が来た。アグネスは夫と一緒に三人を見送りにきた。アグネスは泣いていた。馬車が走り出し、ジョージはアグネスが「坊ちゃんに神様のご加護がありますように!」と叫ぶのを聞いた。


ジョージと母、そしてメイを乗せた馬車はひた走りに走った。グラスゴーを通った時にジョージは今までに見たことのない大きな都市の街並みに目を奪われたが、母はこの街など何でもないとジョージに言った。
「あなたはこれから、ロンドンの学校に行くかもしれないし、もっと素晴らしい外国の街を見ることができるかもしれません。」
馬車はスコットランドから逃れるかのようにひた走りに走り、三人は何度かみすぼらしい宿屋に泊まり、そして終に馬車は石造りの大きな建物へと通じるいかめしい鉄の門の前に止まった。
石造りの建物の中から人が出てくるのを見て母はジョージに言った。「メイの後ろに隠れなさい。」そして門を出て馬車の脇にまでやってきた男に向かって母はこう言った。
バイロン男爵にお目通りを願いたいのですが?」
バイロン男爵はお亡くなりになりました。」
「でも、後継ぎの方がいらっしゃるでしょう。」
「後継ぎになられるのはスコットランドに住んでいる十歳の男の子でまだこちらには到着されていません。」
ジョージとメイのほうを振り返った母は満面に笑みを浮かべていた。そしてまた馬車の窓に顔を出すと朗らかな声で叫んだ。
「ここにいるのが第六代バイロン男爵です。たった今、スコットランドから到着しました。」
ジョージと母、そしてメイは石造りの建物の中から繰り出してきた大勢の男女の使用人たちに迎えられた。こうしてジョージの小公子(リトル・ロード)としての新しい生活が始まった。

(最終話 ギリシアに死す(1824年) に続く)