黄昏のエポック - バイロン郷の夢と冒険

かわまりの読書ルーム II

【読書ルームII(107) 黄昏のエポック- バイロン郷の夢と冒険】

(第八話 暴風雨 (一八一八年 ~ 一八二二年 イタリア 10/17 )

 

バイロンは死者の思い出に耽るのを止めた。仕事をしなければならなかった。バイロンはなぜ、「決定版、審判の幻影」とマレーからの手紙を取り出したのかを思い出した。編集者で優れた批評家のリー・ハントがもうじきイタリアに来ることになっていた。リー・ハントはイタリアで自由主義を擁護する文筆活動をし、同志が書いた評論や文学作品を発表するための雑誌発行を主催しようとしていた。ジョン・マレーが「決定版、審判の幻影」の出版を拒んだ理由が、バイロンの故ジョージ三世に対する不敬と桂冠詩人ロバート・サウジーに対する名指しの非難のせいだということは間違いなかったが、バイロンはそのジョン・マレーに代わって、自由主義の閃鋭分子であるリー・ハントに同作品の出版を依頼する可能性を考えていた。


バイロンはピサに移ってから間もない頃、「決定版、審判の幻影」の写しをシェリーに見せた。バイロンの家を訪ねたシェリーに草稿を渡し、一週間後にバイロンシェリーの家に草稿を取りに行った。バイロンに草稿を返すとシェリーは言った。
「僕は他人をこんなふうに批判したりはしません。」とシェリーは言った。
「じゃあ、どんなふうに批判するんだ。」とバイロンが尋ねた。
桂冠詩人サウジーのことなんか、ほっておけばいいと思うから批判なんてしません。」
「じゃあ、聞くが、サウジーが僕らのことを『悪魔派詩人』と呼んでいるのを知っているのか?一八一六年の夏、メアリーとクレアも一緒で、ジュネーブ湖畔で一緒に詩作や読書に励んでお互いを高めあった、あの時に僕らが乱交パーティーに明け暮れていたなんていうでたらめをあの男は吹聴しているんだぞ!」
「それは僕も聞きました。でも、勝手な憶測は必要があれば否定すればいいだけで、相手の人格をこんなふうに攻撃するのは間違っていると思います。」シェリーがこう言った時、隣室で子供を寝かしつけていたメアリーが居間に入ってきて口をはさんだ。
「ジョージ三世が逝去したことを『何でもなかった。』なんてよく書けると思ったわ。」とメアリーは言った。「亡くなった人に対する哀悼の念なんて全然ないじゃないの。」
「哀悼の念はなければいけないのか?」とバイロンは聞き返した。
「だって、死者に対しては礼をつくすのは当然でしょう。」

「それがどんなくだらない人間でも?」
「ええ、そう。ましてやジョージ三世は私達の王様だったんじゃないの。」
「選んでなってもらったわけでも、頼んでなってもらったわけでもない。彼の先祖のジョージ一世は進歩(ホイッグ)党が頼んでなってもらった国王だけれどね。」
「でも、国王は私達の議会の開会を宣言したり、法律を公布したりするでしょう。」
「国王なんて所詮、飾り物だよ。議会に口出しして勝手に法律を作ったりなんかできやしない。」
「飾り物だから大切にしないという法はないでしょう・・・。」とメアリーが言った。
バイロンとメアリーが議論している間、シェリーは青い目を見開き、先輩詩人と自分の妻とを交互に黙って見つめていたがやっと口を開いた。
「僕はいろんな権威に反抗してきました。神だとか教会の教えだとか・・・。王権を信奉する連中にも反抗しました。社会を批判する詩に手をそめたこともあります。でも、今では飾り物の王なんかほっておくし、社会制度の批判は散文でやることにして詩では理想や夢を表現することに決めています。」
「確かに君の『一八一九年のイギリス』なんかは夢や理想を表現した君の詩よりもできが悪い。で、君は私とメアリーのどちらの肩を持つんだ?」とバイロンが尋ねた。
「飾り物に反抗してみてもしょうがないでしょう。」とシェリーが答えた。
「飾り物をいつでも飾り物にしておくことができれば問題は何も生じない。だが、王党派(ト ーリ ー)や権威にまとわりつく犬どもはいつでも飾り物を前面に押し立てては『神聖なる国王の御名』の下で自分達のやりたい放題をやるんだ。」
「ジョージ三世は立派な家庭を築いたし倹約家でいつでも農民の暮らしに心を配っていました。ジョージ三世が精神に異常をきたしたのもアメリカ独立やナポレオン戦争の心労が祟ったせいだし・・・。立派な王様だったと思わないの?」とメアリーが言った。
「立派な家庭や倹約や農民の真似は本人の勝手だが、アメリカは独立するべくして独立したし、ヨーロッパ大陸のことに干渉する必要なんて全然なかった。それなのに、何でもかんでも自分の責任だと思い込んで気が変になるなんて、笑い飛ばすべき愚の骨頂だ。」
「私なら、理にかなった主張は散文で訴えるわ。私の両親がそうしたように・・・。」メアリーは決然として言い放った。
「僕も散文で書きます。」とシェリーが言った。
「じゃあ・・・。」とバイロンシェリーのほうを向いて言った。「君は理にかなった主張があれば詩人としての仕事を放棄するんだな・・・。」
「それは・・・。」とシェリーは口ごもった。
「『汝、まだ陵辱されざる静寂の花嫁よ・・・。』なんていう自己満足の欺瞞に満ちた内容を手間隙かけて出版してもらうために君は詩を書いているのか?」
キーツの詩には美と理想が溢れています。それで、読者を理想美の世界にいざなうことができればそれでいいじゃないですか?」
「いいか、詩というものは読者の頭と感覚を麻痺させるためにあるんじゃない。その反対の目的のためにあるんだ。」
メアリーが何か言いたそうに口を開いたが、シェリーは妻を制すると言った。
「リー・ハントに意見を言ってもらいましょう。」
リー・ハントはイギリスで駆け出しの詩人だったシェリーとキーツの才能を見出し、激励を与えつづけた批評家だった。「ただ、丁寧に読んでも半日もかからない閣下の作品を彼に読んでもらうためにわざわざ写しを作って二週間もかけてイギリスに送ったりはしません。リー・ハントはイタリアに来たがっています。彼はここで、僕たち自由主義者と合流して、僕たちの作品だけではなく、イタリアの自由主義者の書いた文章を翻訳してイギリスに紹介したいという意気に燃えています。」
シェリーの言葉でバイロンシェリー夫婦との議論は一応の決着をみた。

(続く)

https://kawamari7.hatenablog.jp/entry/2021/09/04/212210

 

【参考】

メアリー・シェリーの両親については下のURL(ウィキペディア)を参照してください。メアリー・シェリーは結婚後のミドルネームとして父母いずれかの姓を採用しましたが、父の姓のゴッドウィンよりも母の姓のウルストンクラフトを採用したことの方が多かったようです。

 

ウィリアム・ゴッドウィン (ウィキペディア)

 

メアリー・ウルストンクラフト (ウィキペディア)