黄昏のエポック - バイロン郷の夢と冒険

かわまりの読書ルーム II

【読書ルームII(99) 黄昏のエポック- バイロン郷の夢と冒険】

第八話 暴風雨 (一八一八年 ~ 一八二二年 イタリア 2/17)

 

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[ラベンナの一風景]

一八一九年の春にテレサ・グィッチオーリ伯爵夫人と出会ったことによって、バイロン中産階級の女性の間を花から花へと飛び回る蝶のように渡り歩く生活に終止符を打ち、その年の暮れにはヴェニスからグィッチオーリ伯爵邸と夫人の実家であるガンバ伯爵邸の両方があるラベンナに引っ越した。当時二十歳のテレサ・グィッチオーリ伯爵夫人はバイロンの「チャイルド卿の巡礼」をフランス語訳で読んでバイロンに心酔していた。


「やはり、私が相手にすべき女は私の詩を理解できなければならなかったのだ。」とバイロンは、数学と詩の才能に恵まれたバイロン夫人と別れてからの自分の苦しい女性遍歴を反省した。ヴェニスにたどり着いてからバイロンのはかない恋の相手になった女性は全てバイロンの容姿や態度の虜になったのであって、一人としてバイロンを詩人として評価したり尊敬したりはしていなかった。テレサ・グィッチオーリ伯爵夫人との出会いはまた、イタリア到着以来ずっとウィーン反動体制への抵抗手段を模索してきたバイロンに一応の回答をもたらすことになった。


バイロンがラベンナに引っ越した翌年の夏、テレサとグィッチオーリ伯爵との離婚が進行中だったある日、バイロンがガンバ邸に出向くと、館の中全体がせわしく何かの準備に終われていた。
「何ごとですか?でも、みんな楽しそうですね。」とバイロンテレサに尋ねると、まだ子供らしさの残る顔をほころばせてテレサはこう答えた。
「弟がローマから帰ってきます。学校が休みになったの。」
テレサの弟ピエトロ・ガンバに関してバイロンはすでにいろいろなことをテレサから聞いて知ってた。そして、テレサの話に登場するピエトロ・ガンバは十七歳の少年ではなく、立派な大人の貴族として、自らの意見と見識を備えた青年だった。


バイロンの前に現われたピエトロ・ガンバは鋭い目つきと大人びた表情をした若者だった。ただ、背丈はバイロンの肩より少し高いほどしかなかった。
「閣下(シニョーリ)のことは父や姉からの手紙でよく存じ上げております。私も閣下のご高名にあずかろうと、閣下の詩のフランス語訳を一生懸命読みました。英語で読むのはまだ少しむずかしいです。」こう言って握手を求めた若いピエトロ・ガンバが自分のことを抜け目なく観察しているということをバイロンは後になって知ることになった。


食卓についた十七歳のピエトロ・ガンバはその知識においても世間に対するものの見方においても十分に大人と言ってさしつかえないほど成熟していた。「動乱の国イタリアに生まれた若者は安定した国イギリスに生まれた若者よりも早く成熟するのに違いない。」とバイロンは名門ハロー校に在学していた、十代半ば頃の自分とピエトロを比較してみないわけにはいかなかった。

 

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[ラベンナの一風景]
その日、一座の中心だったピエトロが提供した話題はイタリアが生んだ偉大な詩人、ペトラルカ、ダンテ、タッソーさらにはホラチウスなどの古典とバイロンの作品との比較に始まり、更にはローマの学校で知り合った南イタリアやサルジニアの名門家庭出身の朋友が語ったこれらの地方の実情にまで及んだ。丁度、南イタリアナポリ王国オーストリアの後押しによって王位に就いたブルボン家の脆弱な国王フェルディナンドに対する民衆の反抗の火の手が上がったばかりだった。
南イタリアには・・・。」とピエトロが話し始めた。バイロンは黙って耳を傾けた。「ナポレオンが次々に廃止していった東ヨーロッパの農奴制とは少し異なってはいますが、基本的には同様の古い土地制度が残っています。農民たちは収穫の大部分を取り上げられ、そのせいか、生産性を上げる努力をしません。自由を奪われた人間は創造的な努力を忘れ、それが結局としては社会を停滞させ、衰退させる。僕らはこういう仮説を立てて夜中までいろんなふうに論じ合いました。ジェノバから来たやつとフィレンツェから来たやつが、貿易と商工業の自由が輝かしいルネッサンスを生んだと主張して、自分達の故郷を鼻にかけました。」
フィレンツェでは私が好きな画家、ボッティチェリやレオナルド・ダ・ビンチが活躍したわ。ジェノバは文化の中心としてはフィレンツェよりも下じゃないの?」とテレサが言った。
コロンブスの故郷ですよ。大西洋横断を助けてくれたのはスペインでしたが、コロンブスが自由な発想でもってスペインの女王を説き伏せるのにあの都市の空気が貢献したんですよ。」とピエトロが答えた。
ジェノバが別の国になってしまったというのは返す返すも残念なことだ。」と父ガンバ伯爵が言うとピエトロは「あの、お父さん、それは禁句じゃないですか?」と言った。しかし、ピエトロはバイロンを含む晩餐の出席者全員の顔を見回すとこう言った。
「お父さんが大丈夫だと思うのなら大丈夫でしょうね。」
ピエトロが外国人でよそ者のバイロンの素性を疑ってこう言ったのだとバイロンが思ったのはすぐ後のことだった。

 

英語でイギリス人と語り合っていたなら多くの意見を言うことができたであろうこういった話題や仮説にバイロンは一言も言葉を発せず黙っていた。その理由は会話がイタリア語だからだというだけではなかった。
「イギリスでは議会が主導する安定した枠組みの中で社会は発展した。しかし、その歪(ひずみ)が貧富の差を生みラッダイト(工場設備破壊)運動などを引き起こした。」とバイロンは考えながら、ピエトロの話題にどうやって参加すればいいのか考えていた。とうとうピエトロがバイロンのほうを向いて言った。

(読書ルーム(100)に続く)

 

 

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[ラベンナの一風景]

【参考】

ヴェニス (ハテナ)

ジェノバ (ハテナ)

フィレンツェ (ハテナ)

 

ラッダイト運動 (ウィキペディア)