黄昏のエポック - バイロン郷の夢と冒険

かわまりの読書ルーム II

【読書ルームII(97) 黄昏のエポック- バイロン郷の夢と冒険】

第七話 レディー・キャロライン (一八一二年初-一八一四年、イギリス  16 /16)

 

田舎町のチェルテンハムではワルツの音楽もなく、バイロンとオックスフォード夫人は顔をくっつけ合うこともなしに親しく語り合うことができた。


「聖書は神様が書かれたものですから著者である神様にどういう意図で書かれたのか尋ねるわけにはいきませんが、『ハロルド卿の巡礼』に関しては、著者のバイロン卿にお会いできるという身に余る光栄をいただきました。だから、きっとすぐに聖書よりもよく理解できるようになると思います。」とオックスフォード夫人はこう言うと「ハロルド卿の巡礼」の詩句を暗唱した。


「ああ、アルブエラlxxvii[9]、悲しみに満ちた栄光の地よ!その戦場の原で巡礼は馬を駆る。この一時の狂乱の場で、敵味方入り乱れた戦いの雄たけびと流血の場で、誰が汝を促せようか!戦死者に平安れ!戦士には栄光あれ!敵の軍靴に踏みにじられるまでの、勝利の一時の涙が長く続かんことを!戦場の名は烏合の衆に空しく語られ、空しい光を発し、はかない歌の主題となるだろう。lxxviii[10]」


オックスフォード夫人が暗唱を終わった時、バイロンは自分の顔がばら色に染まっているのを感じたが、それが自分の詩句が暗唱された光栄のためなのか、美しく尊敬に値するオックスフォード夫人の自分に対する好意のせいなのかはわからなかった。詩句の暗唱に続いてオックスフォード夫人は言った。
バイロン卿、今私が暗唱した箇所は進歩(ホィッグ)党精神の真髄じゃございません?私たちは何よりも戦争に反対します。専制政治衆愚政治の両方を嫌い、重要なことは合議で決定しようというのが私たちの考え方です。王党(トーリー)派はマルサスの陰気な思想を戦いの勝利やら華やかな行進で覆っているようなものだと私は思います。マルサスは『人口論』の中で、人口の増加が貧困や戦争を必然的に引き起こすと説いています。私は人間が動物のように無闇に増えるという考え方に賛成できませんし、貧困や戦争が増えすぎた人口を減らすための必然だという考え方にも真っ向から反対します。マルサスの『人口論』をまだお読みになっていないなら、是非お読みになって、私たちが辿るべき道について考えてくださいね。」
「ところで・・・。」とバイロンが言った。「貴女のお父様は牧師でいらっしゃると伺っていますが、信教の自由についてはどうお考えでしょうか?」
「シーザーのものはシーザーに、神のものは神へですlxxix[11]。物質世界のことに関しては人間が知恵を絞って考えていかなければなりません。問題解決の有効な手段として何とか良い法律を作ろうと私たちは議会に法案を提出したりしているでしょう。でも、精神世界は議会に象徴される物質世界とは別です。物によって得られないような精神的な豊かさや幸せを追求する権利が誰にでもあります。その方法は法律などには束縛されず、自由であるべきです。」
「では、貴女はアイルランドカトリック教徒に信教の自由を認めようとする僕やホブハウス、ウィリアム・ラム卿の考えに賛成なさるのですね。」
「もちろんです。ウィリアム・ラム卿が衆議院で再選されるためなら、私は何でもいたします。ホブハウス氏にお約束した時に私はすでにそう心に決めておりました。でもバイロン卿にお会いして、私は自分の役割を今では一層自覚して真剣に努力するつもりになっております。」とオックスフォード夫人はまたいたずらっぽく微笑んで言った。
「これからもいろんなことをお教えください。」とバイロンはオックスフォード夫人に言いながら昂揚する気持ちを抑えきれなかった。
チェルテンハムでバイロンは、ホブハウスに言われたとおり、どこに行くのにもオックスフォード夫人と連れ立って行動した。最初は義務感からそうしていたが、次第にバイロンは夫人の成熟した魅力と豊かな知識、そして出会う人に安堵感を与えずにはおかないおおらかな人柄に惹かれ、夫人と会うことを心待ちにするようになっていた。
衆議院の選挙が終わった後も是非、おつきあいを続けたいと思います。」とバイロンが言うと、オックスフォード夫人は言った。
「選挙が終わったら主人と娘と一緒にシシリア島に出かけます。シェークスピアの『から騒ぎ』の舞台になったメッシナで古いお城の部屋を二ヶ月ほど借り切って地中海の秋を満喫するんです。バイロンもよかったら一緒にいらっしゃいませんか?地中海の青い海と青い空をご覧になったら、
また創作意欲がわくかもしれないでしょう。」
「すぐにはお返事できないんですが、メッシナですか、いいですね・・・。でも、ここでこうやって貴女と一緒にいるとそれだけでから騒ぎの真っ只中にいることを忘れてしまいそうです。」
真夏の夜の夢と 嵐(テンペスト)が終わったところかもしれませんよ。」
「多分、じゃじゃ馬ならしがまだ必要でしょうね。サミュエル・ロジャースとトマス・ムーアがうまくやってくれるといいんですが・・・。それから出版者のマレーも・・・。」
「ロンドン社交界の陽気な妻たちとケンブリッジの二人の紳士、バイロン卿とホブハウス氏・・・。」
「終わりよければすべてよしlxxx[12] 。」
ロンドンに戻った後、バイロンはオックスフォード夫人のシシリア島行きの誘いを丁重に断った。「ハロルド卿の巡礼」を越える詩本を書くように言って出版者のマレーから前金を渡されたからだった。バイロンは新しい作品を書くためにもう一度地中海の青い海と青い空を見る必要を感じなかった。二年近くの長きに渡る卒業旅行(グランド・ツァー)で得たものによって「ハロルド卿の巡礼」を越える作品を多数書くことができるとバイロンは思った。


一八一二年の三月に「ハロルド卿の巡礼」第一巻と第二巻を発表した後、バイロンは一八一四年の八月までに、トルコ四部作と言われる物語詩「異教徒」、「アビドスの花嫁」、「海賊」、「レイラ」を次々と発表した。一八一四年の九月、バイロンは男爵ラルフ・ミルバンク卿の一人娘アン・イザベラ・ミルバンク嬢、通称アナベラと婚約した。

(読書ルームII(98) 第八話 暴風雨 一八一八年 ~ 一八二二年 イタリア に続く)

(読書ルームIII(特番)に続く) 

 

【参考】

XLIII.

Oh, Albuera! glorious field of grief![cc][67]

As o'er thy plain the Pilgrim pricked his steed,

Who could foresee thee, in a space so brief,

A scene where mingling foes should boast and bleed![cd]

Peace to the perished! may the warrior's meed[ce]

And tears of triumph their reward prolong![cf]

Till others fall where other chieftains lead

Thy name shall circle round the gaping throng,

And shine in worthless lays, the theme of transient song.[cg][68]