黄昏のエポック - バイロン郷の夢と冒険

かわまりの読書ルーム II

【読書ルームII(67) 黄昏のエポック- バイロン郷の夢と冒険】

第六話 若き貴公子(一八○五年夏 ~ 一八○九年夏  イギリス  4 /18)

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溺れかけて肺を患ったジョン・エーデルトンは初秋の頃にはもう少しで聖歌隊に復帰できるほどに回復した。バイロンはエーデルトンを寮に呼び、乗馬を教えた。エーデルトンの慣れない乗馬に手を貸し、自分も馬に乗ってエーデルトンと共に赤や黄色に染まり始めた木立ちの中を歩む時、バイロンは自分が助けたエーデルトンが頬を紅潮させ朗らかな笑いをうかべるのに陶然として心を奪われた。エーデルトンが笑うとバイロンも笑い、エーデルトンが叫べばバイロンも叫んだ。晩秋の草原に二人は馬を留めてそれぞれの生い立ちについて語り合った。初冬になって戸外で遊ぶのには気候が厳しくなると、エーデルトンはラテン語の歌詞の楽譜を携えて寮にバイロンを訪ね、二人は炉辺に腰掛け、エーデルトンは歌を歌い、バイロンはエーデルトンにラテン語の手ほどきをした。


クリスマスが近づき、試験が一段落した後でバイロンはハロー校にいた頃と同じく自分の居城のニューステッド・アベイに客人として帰省することになった。バイロンはエーデルトンと別れるのがつらかった。しかし、クリスマスの仕事があるエーデルトンをニューステッドに連れていくわけにはいかなかった。
「さようなら。楽しいクリスマスだといいね。」こう言ってバイロンは自分より背の低いエーデルトンの額に接吻した。かつて、エーデルトンの体に命を吹き込む思いでバイロンは無我夢中でエーデルトンと唇を重ねたことがあった。今、バイロンはエーデルトンの頭に自分が与えられる限りの知識を吹き込みたいと思った。


年が明けてケンブリッジに戻ったバイロンは、ニューステッドに帰省する前にノッティングハムの小さな書店に原稿を送り、冬休み中にゲラを校正して自費で出版したささやかな詩集「遁走詩集」を十八歳の誕生日の記念だと言って何人かの友人に配った。


「やつの詩を読んだか?」とある日デービスやマシューズと図書館で落ち合ったホブハウスが尋ねた。
「読んだ。」とデービスが答えた。
「若様の手すさびだな・・・。」と言ってマシューズが口をゆがめた。
「要するにガキなんだ。」とデービスが言い、たまたま持っていたバイロンの「遁走詩集」を取り出した。
「ちょっと読んでみるぞ。」と言ってデービスはページを開けると大袈裟な節つきで詩を朗読し始めた。

汝の唇を思い浮かべる時、
その色香は熱いキスを誘う
それでも私はその神々しい恩寵を見過ごす
ああ、それは禁断の恩寵なのだ。
汝の穢れなき乳房を思う時・・・
「M・S・Gへ」より


「おい、デービス。バイロンがこっちに来るぞ。本を隠せ。」とホブハウスが言った。
「かまうもんか。やつが僕ら全員に配った本なんだ。読んでほしいから配ったんだろう。」とデービスが言い終わ
らないうちにホブハウスはデービスから冊子を取り上げ、後ろに隠した。
「やあ、こんにちは。」と大学構内を歩き回る時の常で白いシルクハットを被り白い手袋をはめたバイロンが三人に向かって言った。デービスはにやりとほくそ笑み、ホブハウスはバイロンの「遁走詩集」を背後に隠していることを気取られないように無表情を取り作った。マシューズは苦虫を噛み潰したような表情を変えなかった。
「みなさん、三人揃ってここで何をしているんですか?」とバイロンが尋ねると三人はお互いに顔を見合わせたが、マシューズはすぐさまバイロンに挑戦的な視線を投げかけるとその肩に荒っぽく手をかけた。
「ちょっと話がある。ここでは大きな声で話しができないから図書室の外に出よう。」
四人がぞろぞろと図書室の外に出て最後に部屋を出たホブハウスが後ろ手で扉を閉めるとマシューズはつっけんどんな口調でバイロンに尋ねた。
「君はハロー校で洗礼は受けたのか?」
「洗礼なら生まれてすぐに教会で受けました・・・と聞いています。」とバイロンは答えた。
「とぼけるな。僕がイートン校に入った時にはデービスが洗礼を授けてくれたし、ホブハウスが入学した時には僕が洗礼を授けてやった。Rがつかない月には中庭の池に新入生を放り込むし、Rがつく月には吹き抜けのある広間にマットレスや枕や毛布をうず高く積んで新入生を二階からつき落とすのが僕らの習わしだった。」
「それはそれは随分と・・・野蛮と言おうか、勇気がいると言おうか・・・あっ、痛い。何をするんですか?」
マシューズがバイロンの耳をつかんで引っ張ったのでバイロンは悲鳴を上げた。マシューズは構わずに言った。
「宿題に出しておいたオイラーの方程式の問題は解けたか?」
「時間があったら解きます。数学は授業で取っているユークリッド幾何が先なんで・・・。」
「解析幾何を卒業したのにユークリッド幾何なんて子供だましは履修する必要なかったんだ。」
「マシューズさんが解析幾何を教えてくれるとわかっていたら履修しませんでした。」
「いずれにせよ、君にはオイラーだとかマクローリンだとかじゃないもっと基本的な修養が必要だ。特に洗礼は生まれた時に受けたっきりでハロー校に入った時には受けていないというならな。」こう言ってマシューズはバイロンの耳を放した。バイロンは痛めつけられた耳をさすりながら言った。

(読書ルームII(68) に続く)

 

 

【参考】

オイラー (ウィキペディア)

 

マクローリン (ウィキペディア)