黄昏のエポック - バイロン郷の夢と冒険

かわまりの読書ルーム II

【読書ルームII(61) 黄昏のエポック- バイロン郷の夢と冒険】  

第五話 小公子(一七九八年夏 ~ 一八〇二年夏  イギリス  7/9)

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秋になって学校が始まり、ジョージはクリケットの対外試合に出場することになった。チームの主将が審判に掛け合い、攻撃の際に足が速く守備はうまいが打撃は得意ではない少年とジョージとが組んで二人で一人の働きをすることが許された。ジョージは守備にも加わりたかった。投手(ボウラー)になれば打者を困惑させる変化球を投げられる自信があった。しかし、打たれた球が近くを通過した際には球を走って捕らえなければならないと聞き、ジョージは守備への参加を諦めなければならなかった。


冬になり、学校の近くの池が凍り、学校の校長は池の中心には近寄らないという条件で生徒たちにスケートをすることを許可した。ジョージにはスケートだけはどうしても出来なかった。そこでジョージは雪が降った後などほんのたまに池で歓声を上げるスケーターたちを冷やかして雪の玉を投げたりする以外は体育館の中でサンドバッグを相手にボクシングをした。ジョージは依然として歴史やその他の本に大きな関心があり、読書に時間を費やしたかったのであるが、他の少年達がスケートに興じている間に図書室に入り浸り、学科についていくのが困難でガリ勉をしていると思われるのが嫌だった。したがって、オーバーに身をくるんだ他の少年たちがスケートから帰ってくる時、体育館の中にはいつでも上半身裸で手にグローブをしてサンドバッグに向かっているジョージの姿があった。


ジョージがハロー校に入った年に機転の利くハンソンはニューステッド・アベイを使用人ごと金持ちに貸し出すことをバイロン夫人に提案した。夫人もジョージが学校に行っている間、主人がいない屋敷で使用人たちをのらくらさせておくよりは収入源として活用したほうがいいと考え、ハンソンの意見に賛成した。そこでニューステッド・アベイはジョージとバイロン夫人、それから時たま事務に訪れるハンソンの部屋を除いてロンドンよりもさらに遠方に領地を持つある貴族に貸し出され、ジョージは休暇中には客として自分の持ち物であるニューステッドに帰ることになった。


クリスマスが近づき、ニューステッド・アベイの窓は先代のバイロン男爵の時とはうって変って華やかに飾りつけがなされ、広間にもクリスマス・ツリーが飾られた。しんしんと雪が降る夜、ジョージは窓辺から雪を被った沼沢地を見下ろし、ニューステッド・アベイに来た最初の夏にメイ・グレーが去って以来の習慣になっている瞑想に耽った。ニューステッド・アベイと同じく、小作人たちの窓にもクリスマスの飾りつけがなされ、クリスマスの前夜に豊かな収穫から得た暖かい数々の料理が小作人たちの食卓に並べられる様をジョージは想像した。そしてジョージは夏休みに垣間見た隣の領地の地主の娘メアリー・アン・チョワーズのことを思った。そして、ジョージを当惑させたメアリーの可愛い笑い声やそのいたずらっぽい眼差しやしぐさや可憐な服装の詳細を思い出そうとした時、一群の言葉がリズムをなしてジョージの頭の中に浮かんだ。


ニューステッド・アベイに到着した後、ほんのしばらくの間メイ・グレーの言いなりになって体をおもちゃにされ、そのことをハンソンに咎められてから、ジョージは身分の低い女を憎んでいた。しかしメアリー・チョワーズのような少女がハンソンが言っていた秘密を共にしてもいい女なのではないか、とジョージは空想の翼を羽ばたかせた。大人が持つような秘密を持つ必要はなかった。ただ、美しく賢い女性と何かを共有できたら・・・ジョージが空想をめぐらすにつれ、蔓のようにお互いに絡み合った言葉が韻を揃えてジョージの頭から泉のように湧き出、ジョージは驚き飛び上がらんばかりにして踵を返すと窓辺から部屋の隅の机に駆け寄り、燭台を寄せ、溢れ出る言葉を夢中で書き留めた。


あと一ヶ月あまりでジョージの十三歳の誕生日だったが、ジョージは十二歳なのにメアリーに十四歳だと偽ったことを大きな嘘だとは思っていなかった。ジョージは学校の作文の時間に教師に「この単語は本当に意味がわかって使っているのか?こんな単語どこで覚えたんだ。」と尋ねられたことがあった。ジョージはただ、その単語が伝えたい内容を伝えるのにふさわしく、本を読んでいるうちに自然にその単語を覚えたのだと答えるしかなかった。言葉によってジョージは隅々にまで至る世の中と過去や未来の希望と繋がっていた。それだけではない。言葉で考えを伝えることによって人の世を征服することが可能になるかもしれない、とジョージは思った。

 

年が明けて学校に戻り、級友がスケートする間にボクシングをする冬の生活が再開された。ジョージは学校の図書室で目ぼしい歴史の本はほとんど読んだと思っていたが、時たま、引用などで新しい本の名前を知ると借りてきては貪り読んだ。歴史の本ではないが、英雄が登場する物語もジョージの関心を引いた。ジョージはホメロスの「イリアース」と「オデッセイ」を、そしてベルギリウスの「アエネイド」を読んだ。そしてベルギリウスの「農耕詩(ジョージクス)」を読み国王と同じ名前なので嫌っていた自分の名前がラテン語の「耕す」という単語に由来しているということを知った。当時のイギリス国王ジョージ三世は農民の暮らしに多大な関心を払い「農民王ジョージ」と呼ばれて親しまれていたがジョージは国王と共通の自分の名前の由来を知っても自分の名前を好きになることができなかった。ジョージは一○六六年にノルマン朝を開いた征服王ウィリアムや皇太子時代にフランスを転戦して大手柄を立てたヘンリー五世、ローマ教会からの訣別を宣言してイギリス国教会を築いたヘンリー八世など勇猛な王者にちなんだ名を自分につけてくれなかった母や周囲の人間を怨んだ。


ジョージはこの頃にはすでにイギリスの歴史にも通暁していて、プルタークの「英雄伝」を訳したドライデンが王政復古期の詩人で初代の桂冠詩人であること、そして「イリアース」と「オデッセイ」を訳したアレキサンダー・ポープが自分が生まれるちょうど百年前の一六八八年に生まれたことなどを知った。また、一六八八年はイギリス史の輝かしい一頁を開いた名誉革命の年でもあった。「そして、僕が生まれた翌年にはフランス大革命が起きた。一六八八年はイギリスの大きな変革の年、そして一七八九年はフランスの大きな変革の年だった。」こう思ってジョージはアレキサンダー・ポープに大きな親しみを感じた。反対に、王政復古期に初代の桂冠詩人となったドライデンに対するジョージの興味は失せ、替わりに清教徒革命の時代に護国卿クロムウェルの下で官吏として活躍し、王政復古とほとんど時期を同じくして失意の中で視力を失った詩人ミルトンに関心を引かれた。ジョージはこういった詩人たちの著作やギボンなどによって書かれた歴史書を読むことにできる限りの時間を費やした。


春になって気候が穏やかになり、ジョージの行動範囲は学校界隈を越えて広がっていた。学校と町を望む高台の墓地でジョージは空想に浸り、昨年の夏に出会ったメアリー・アン・チョワーズのことを思い返した。今度会った時に彼女と自分との間に何があるのか、自分は何をするのかと想像した時、クリスマスの前にニューステッド・アベイの窓に寄りかかって闇の中に沈む沼沢地を望んだ時と同様、宝石のように光彩を放つ言葉が頭の中に湧き出た。


さらば、空しい空想の愛よ。
無知が紡ぎ出す偽りの衣よ。
僕が欲しいのは魂の息吹を伝える柔らかな眼差し。
さもなくば初めてのキスの歓喜だ。
空想を育くみ
その牧歌的な情熱は木立となる。どんな祝福された霊感が
汝から詩句を溢れさせるのかは知らないが
汝らはかつて初めての愛のキスを交わしたことがあるのか。
「初めての愛のキス」より

(読書ルームII(62) に続く)

 

 

【参考】

ベルギリウス/ヴェルギリウス (ウィキペディア)

 

アエネイド/アエネーイス (ウィキペディア)

 

ドライデン (ウィキペディア)

 

ミルトン (ウィキペディア)

 

アレクサンダー・ポープ (ウィキペディア)

 

クロムウェル (ウィキペディア)


征服王ウィリアム/ウィリアム1世 (イングランド王) (ウィキペディア)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%A01%E4%B8%96_(%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89%E7%8E%8B)?wprov=sfti1