黄昏のエポック - バイロン郷の夢と冒険

かわまりの読書ルーム II

【読書ルームII(59) 黄昏のエポック- バイロン郷の夢と冒険】

第五話 小公子(一七九八年夏 ~ 一八〇二年夏  イギリス  5/9)

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坊ちゃんが十二歳の誕生日を迎えて間もなく、ハンソンは坊ちゃんを伴って自分の長男のチャールズが学んでいる私立の寄宿学校、いわゆるパブリック・スクールの一つである名門ハロー校を訪れた。坊ちゃんを連れて校長と面会し、坊ちゃんのハロー校への入学許可を得るためだった。


校長の前で坊ちゃんは大人しく、引っ込み思案で、尋ねられたことだけに口数も少なく答え、まだこの先どのように発展していくのかはわからない、同じ年齢の子供達を凌駕する坊ちゃんの知能や知識欲に関してはハンソンが言葉をつくして説明しなければならなかった。校長は坊ちゃんの入学を即時に許可した。しかしそれは坊ちゃんに対する言葉をつくした称賛が功を奏したからではないとハンソンは思った。なぜ自分は自分の子供達に対するような、あるいはそれ以上の時間と労力を費やして坊ちゃんにつくすのか、それはただ単に坊ちゃんが自分の名目上の主人であるからばかりではなく、坊ちゃんの灰色の大きな瞳、いちごのように赤く整った形の唇、豊かに波打つ栗色の頭髪など、坊ちゃんの全体から漂う抗しがたい魅力のせいではなかったか、ハンソンはそう考え、ハロー校の校長も自分と同じように坊ちゃんに魅せられて入学を許可したにちがいないと思った。


こうしてジョージ、すなわち小公子(リトル・ロード)バイロン卿が十二歳になった春、女性と平民の子供たちに囲まれた環境から脱して上流階級の少年たちと男性教師だけからなるハロー校に入学することになった。


マレー老人に付き添われたジョージをニューステッドからハローまで運んだ馬車が学校の門に近づくにつれ、一人の少年がジョージを待ち受けているかのようにたたずんでいるのがわかった。馬車が到着してジョージに握手を求めた少年はハンソンの長男だった。
「チャールズ・ハンソンです。覚えていますか、クリスマスにニューステッド・アベイでお会いしました。父からは君のことをしょっちゅう聞かされています。勇敢で頭がよくてニューステッドの立派な領主になるだろうと父はいつも君のことを褒めています。」と少年は言い、ジョージはこう言った。
「君のお父さんは僕の一番いい友達だ。君もこれからは僕の友達になるんだろうね。」
「もちろんです。これから学校の中を案内します。僕の友達がもうすぐ到着する弟のハーグリーブスの案内役をしてくれます。僕の下の弟のニュートンが入学した時には君が案内してくれますね。」
ジョージはうなずいた。


チャールズはまず、ジョージを寄宿舎に案内して持ち物を入れる戸棚を示した。それからジョージを連れて教室、音楽室、礼拝堂、運動場などを見せて回った。運動場では大勢の少年たちがクリケットに興じていた。バットを持った少年がボールを打つ様にジョージは魅了された。しかし、フィールドを走らなければならないとわかって落胆した。
「ここの生徒たちは僕や兄のように都会で専門的な職業についている者の息子もいれば、田舎の郷紳や医者の息子もいる。父親やお祖父さんが爵位を持った貴族でうちに帰ると『小公子(リトル・ロード)』と呼ばれる者も大勢いる。でも、君のようにたった十二歳で当主だという者は数えるほどしかいないだろうな。」とチャールズはジョージに言った。


ジョージの学校生活はこうして始まった。新学期が始まるまでまだ十日ほどもあり、毎日のように、故郷から学校に戻ってくる少年や新しく学校に入る少年の馬車がひっきりなしに学校の門の前に到着した。


学校が始まる二日前の夜のことだった。ジョージが寄宿舎の大きな集団寝室で眠る仕度をしていると突然、部屋の外ががやがやと騒がしくなった。ジョージは隣のベッドの少年のほうを見た。昨年入学したというその少年は平然としていたが、部屋の中ではすでに、あたふたとベッドの下にもぐり込んだり戸棚の戸の陰に身を隠す少年がいた。
「新入生の洗礼式だよ。」と隣のベッドの少年は言った。「何てことないんだ。シーツの上に乗せられて天井に放り上げられるだけだよ。君、怖かったら逃げたほうがいいぜ。」


ジョージは言った。

「面白い。やってやろうじゃないか。何でそんなことが怖いんだ。」こう言うとジョージは靴を脱いでベッドの上に立った。シーツを持った数人の上級生が部屋に入ってきた。
「新入生はいないか?」と闖入者たちは口々に叫んだ。
「ここに居るぞ!」とジョージは叫んだ。
「なんだ、ちんばじゃないか。」と闖入者のうちの一人が言った。
「ちんばだと、勇気は人並み以上だ。」とジョージは言い返した。
「怖けりゃ、許してやるぜ。」と別の闖入者が言った。
「シーツが何で怖いんだ。」
「ちんばをいじめるのはな・・・。」
「僕はこそこそと逃げ隠れしないようにこういう脚をしているんだ。さあ、シーツを広げろ!」
ジョージがこう言ったので上級生の闖入者たちは黙って恭しくシーツを広げた。ジョージはシーツが破れないよう、体が床に平行になるようにして飛び降りた。
「そら、行くぞ。」と言って闖入者たちはジョージを天井に放り投げた。ジョージは体や顔が天井に届くまでに手のひらで天井を抑えれば痛い目には会わないと計算していたが、一回目は呼吸がつかめず、天井で横面を殴られた。二回目からは首尾よく手で天井を抑えることができた。このようにして天井に数度投げ上げられた後、闖入者たちはジョージを床に下ろした。


「空を飛ぶ鳥になった気分だった。」とジョージは言った。「シーツを怖がるやつがいたら、そいつの分も空を飛んでやる。」
学校の授業の内容はジョージにとって新鮮で興味をそそった。ラテン語ギリシア語の文法の授業は上級生が言ったとおりつまらなかったが、ジョージはグレニー博士の手引きで親しんだプルタークやクセノフォン、ヘロドトスなどの著作が元々はラテン語ギリシア語で書かれていることを知っていて、これらの言葉を何としてでも覚えたいという意欲が学科のつまらなさにうち勝った。一方でジョージはラテン語ギリシア語の古典を英語に訳した文人、すなわちドライデンやアレキサンダー・ポープにも関心を持ち、こういった文人達の著作を求めて図書室に入り浸ることがしばしばだった。


新入生の洗礼式でのジョージの英雄譚が語り継がれていたしばらくの間、ジョージを脚のことでからかう者は現われなかった。ジョージはラテン語ギリシア語の講読の授業中に先生に指名されて詩を暗唱させられても、詩を一言一句に至るまでそらんじるだけではなく、内容を深く理解して表現豊かに堂々暗唱することができた。ラテン語ギリシア語の文法も完全に記憶した。歴史の時間には年号や人物の名前、業績などを全て正確に言うことができた。初めて習った幾何もジョージの関心をそそった。こうして数週間たったある日の昼休み、食堂から教室に繋がる廊下に出たジョージはクラスで出来が悪く、先生に指名されるといつでも頭を掻く少年がびっこを引く真似をして歩きながらジョージにとっては許しがたいある文句を唱えているのを目撃した。
「びっこ、びっこ、びっこのジョージ!」

(読書ルームII(60) に続く)

 

【参考】

クリケット (ウィキペディア)