黄昏のエポック - バイロン郷の夢と冒険

かわまりの読書ルーム II

【読書ルームII(53) 黄昏のエポック- バイロン郷の夢と冒険】

第四話 青い空、青い海 (一八○九年夏 ~ 一八一一年秋 ポルトガル→スペイン→アルバニアギリシア→トルコ→ギリシア→イギリス  17/18)

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ハンソンからようやく旅費を借りることができ、荷物をまとめ、すでに仮住所を知らせてあった知人たちにニューステッドに戻る旨の手紙を送り、バイロンノッティンガムシャー行きの馬車に乗り込んだのは翌日遅くなってからだった。


バイロンは最悪の場合でも危篤状態の母に会えることができるか、あるいは危篤状態を脱した母に会って旅の思い出を語ることができると思っていた。しかしバイロンが到着した時、バイロンの母は冷たい遺骸となって棺の中に横たわっていた。翌日の葬儀と埋葬式にバイロンは出席せず、母の棺が載せられた馬車をニューステッド・アベイの門から見送っただけだった。バイロンは喪服を持っていなかった。ロンドンを立った際、喪服を用意する必要があるとは夢にも思わなかった。しかし、バイロンの二年にも渡る不在に批判的な母方の親戚一同が居並ぶ中で借り物の喪服を着て葬儀や埋葬式に出席したくはなかった。バイロンと共に旅行した従者のフレッチャーとロバート・ラシュトンは「喪服をお貸ししましょう。」などという無神経な言葉をバイロンに投げかけることもなく、ただ呆然としてたたずむバイロンを遠くから見つめた。


バイロンは母の棺を載せた馬車が視界から消えた後も長い間ニューステッド・アベイの門の前に立ちつくしていたが終に屋敷のほうに向き直るとロバートを呼んで言った。「ボクシングのグローブを持ってこい。サンドバッグを用意しろ。」

ただ一人、黙々とサンドバッグに向かうバイロンを屋敷の使用人たちは慰める言葉もなく遠巻きにした。翌日、バイロンはホブハウスからの手紙を受け取った。


「親愛なるバイロン


僕らに非常に関わりの深い大きな悲劇が起きたことを簡単に伝える。チャールズ・マシューズが亡くなった。カム川で泳いでいる時に溺死した。スクロープ・デービスから訃報を聞かされた時、僕は泳ぎがうまかったマシューズの死を信じることができなかった。マシューズは水底の泥か何かに足を取られて、一緒に泳いでいた者がマシューズがいなくなったことに気がついた時にはすでに水底で 骸(むくろ)になっていたそうだ。


帰国した君に最初に送る手紙は、東方での君の更なる英雄譚や出来上がった詩の出来栄えを聞くためにいつ会おうかという楽しい内容になるはずだった。こんな手紙を書き送らなければならないということは残念でたまらない。


お母様のご病気が悪いとのことで、そちらのほうも心配している。僕がよろしくと言っていたとお母様に伝えてくれ。


落ち着いたらまた会おう。僕がマシューズの死の衝撃から立ち直るのにはしばらく時間がかかると思うが、できるだけ早いうちにまた会って、いろんなことを話そう。


君の変らない友
J.C.ホブハウス」


ニューステッドで母の喪に服している間、学生時代に同じ場所で僧衣を纏った奇妙なパーティーを行って青春を謳歌した仲間の一人であるチャールズ・マシューズの死の知らせを受け、バイロンは重ねての衝撃を受けた。バイロンは母の死のせいで手をつけることのなかったその他の数通の手紙の束に目をやった。手紙の束の中にはバイロンが帰国した後にニューステッドに宛てて発送されたチャールズ・マシューズからのものがあった。バイロンには読まなくてもその手紙の内容がわかっていた。ホブハウスが本来ならば書きたかった楽しい内容がその手紙に書かれているはずだった。


完成間近の「ハロルド卿の巡礼」に手をつける気にもなれず、バイロンは鬱々として母の遺品の整理などでそれからの日々を過ごした。脚の奇形のせいで自分のことを「悪魔の子」とさえ呼んだことのある母をバイロンは憎んでいた。しかし母が亡くなった今、それは憎しみからではなく愛情から発せられたのに違いない、とバイロンは思い、地中海旅行のみやげ話もできず、完成した「ハロルド卿の巡礼」を見せることもできなかったばかりか、死に際に会うことさえかなわずに逝ってしまった母の思い出に浸った。


九月になり、バイロンはようやく母の遺品の整理に一段落つけ、領地や財産の問題や自分のこれからの身の振り方を考える気になった。バイロンはハンソンに会って金銭上の問題についての報告や今後についての指図を仰ぎたかったのだが、ロンドンのハンソンにそのことに関して依頼しても、ハンソンからは今はロンドンで手が離せない用事があってニューステッドに赴くことはできない、という返答が返ってきただけだった。
(読書ルームII(54) に続く)

 

 

【参考】

バイロンとホブハウスの共通の友人だったマシューズはバイロンケンブリッジ大学での先輩で自然科学を得意とし、バイロンの数学の才能を発見して数学とドイツ語を学ぶよう強く勧めましたが、これに対してバイロンギリシャ・ローマの古典とイタリア語の習得に精力を費やしました。マシューズ → バイロン → エーデルトン と連なる同性愛的な切磋琢磨の成長物語は「第6話 若き貴公子」で語られます。