黄昏のエポック - バイロン郷の夢と冒険

かわまりの読書ルーム II

【読書ルームII(23) 黄昏のエポック- バイロン郷の夢と冒険】

第ニ話 優しき姉よ (一八一四年 ~ 一八一六年 イギリス 6/6)

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その後、ホブハウスはほとんど毎日のようにバイロンを訪ねて旅行中の計画やイギリスで自分がバイロンに代ってできることなどを細かく尋ねた。
「詩はもちろん書き続けるだろうから・・・。」とホブハウスが言うとバイロンは首を横に振った。
「また書けるようになれるかどうか、全くわからない。『ヘブライ調』を出版した後に旧約聖書を題材にした一大叙事詩の構想があったが色あせてしぼんでしまった。」
ホブハウスはオーガスタの姿を最近、見かけなくなったことについて尋ねた。
「噂のせいで姉はうちに寄り付かなくなった。セント・ジェームズ宮の近くの家から仕事に通っている。じき、産休でシックス・マイル・ボトムの自宅に退出する。」
ホブハウスは巷を賑わせているバイロンの離婚に関するかしましい噂がすでにバイロンとその姉を苦しめていることを痛々しく思った。バイロンはラシントン博士に対して離婚理由の説明を求めたところ、博士が「姉との近親相姦」を理由の一つとして挙げたと言った。誰がそんなことを博士に言ったのだろうと、ホブハウスはいぶかしく思ったが、クラーモント夫人がバイロン夫人の持ち物を取りに来た際にオーガスタがいたのではないかというホブハウスの問いにバイロンは「そうだ。」と答えた。


ある日、ホブハウスがバイロンと共にいる時、使用人がオーガスタの来訪を告げた。ホブハウスは黙って席をはずした。
書斎に入って後ろの扉を閉めた姉を見るとバイロンは姉に歩み寄り、膝を折って姉のドレスのスカートにすがると悲嘆の涙にくれた。
「姉さん。どうして僕はこんな目に会わなければいけないんでしょう。僕がアナベラに何をしたと言うんです。全て僕には覚えがないことです。僕と姉さんとの間の潔白は姉さんのお腹の中の子供と神様が誰よりもよく知っているはずです。姉さん。僕はイギリスを去らなくてはなりません。僕らの無垢な関係も貴族院議員としての僕の地位や名誉ともに世間の人たちによって引き裂かれてしまいました。」
バイロンは姉にすがって激しく泣きじゃくった。オーガスタは涙にくれる弟の肩を無言のまま愛撫したがやがて静かに言った。
「ジョージ。あなただからこそ、人が背負わないような重い十字架を背負わなければならないのです。お泣きなさい。心いくまで。でも、いつまでも泣いていてはいけません。」
オーガスタが部屋に入ってきた時にバイロンは姉が手に何かを持っていることに気がつかなかったが、オーガスタは黙ったまま手に持っていた聖書をバイロンに差し出した。その時バイロンは姉が口を開いたとは思わなかった。しかしバイロンははっきり聞いた。姉の声はバイロンには大天使から発せられる天啓のように聞こえた。オーガスタは聖書をバイロンに渡すと言った。
「ショージ。泣くのはおよしなさい。自分の道を真っ直ぐに歩きなさい。あなたに神様のご加護がありますように。」


オーガスタへ


私の姉よ。私の優しき姉よ。もしこの世に
これ以上優しく清い言葉があるならば、それはあなたの名だ。
幾多の山々や海が私たちを隔ててはいるけれど、
私は涙はいらない。ただ私に優しく答えてほしい。
どこに行こうが、あなたは変らない。
あなたに纏わる愛に満ちた想いを私はけっして捨てない。
私の運命を待ち受けるものはたった二つ、
怒涛逆巻く世の中とあなたがいる家だ。

 

世の中などはどうでもいい。でもあなたの家を大切にしたい。
それは私の幸福を育む天国。
でも世の中はあなたとしか持ちたくないしがらみを私に求める。
私はしがらみを嫌うわけではない。
しかしあなたの父の息子vii[3]は数奇な運命を生きる。
正すことのできない過去を思い出してみよう。
私たちの祖父のviii[4]逆の運命を私は生きる。
彼は海で憩うことなく、私は陸で憩うことがない。

 

(読書ルームII(24) 第三話 ため息橋にて に続く)