黄昏のエポック - バイロン郷の夢と冒険

かわまりの読書ルーム II

【読書ルームII(15) 黄昏のエポック- バイロン郷の夢と冒険】

第一话 レマン湖の月 (一八一六年夏 スイス 15/17 )

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一同はまず、黙ったまま運ばれてきたコーヒーをすすった。まだ日没までには時間があったが、風が吹きすさぶ窓の外はすでに暗くなっていた。
「僕は、怖い話だったら、おばあちゃんから聞いた吸血鬼の話をすることができます。」とボリドリが言った。
「中世にトランシルベニアに住んでいた貴族に悪魔が取り憑いて吸血鬼になるんです。何百年も棺桶の中で眠っているんですが、十九世紀の現代の世の中にひょっこり現われるんです。しかも、紳士の姿形をして・・・。だから人々は吸血鬼の存在に気がつかない。吸血鬼に血を吸われた者は吸血鬼になっていくから、誰が吸血鬼なのかわからないうちに吸血鬼がどんどん増えていくんです。怖い話でしょう。」
「怖いな。」とバイロンが言った。バイロンの左隣にいるジョン・ポリドリがバイロンのほうを向いたまま話し終わった時、ジョン・ポリドリの左にいるシェリーがバイロンの右隣にいるメアリーにおどけたしぐさをしてみせた。
「ところで・・・。」とバイロンが言った。
「君は医学学校で吸血鬼というものが最初にどのようにしてできるのか習ったのか?」
「そんなこと習うわけないじゃないですか。」とポリドリが答えた。
「じゃあ、吸血鬼を解剖したことは・・・?」
「また、閣下はそんなふざけた質問をなさる・・・。」
「じゃあ、あまり科学的な話じゃないんだな・・・。」とバイロンが決めつけた。その時、シェリーが高飛車に言った。
「はい。ドクターの話はこれでおしまい。そして、今回の最後を飾るのは男爵バイロン卿であります。みなさん、盛大な拍手をお願いします。」
バイロンは安楽椅子の上で姿勢を正すと言った。
「僕は今あたためている途中の劇詩の構想があって、完全に内容を考えつくまで、誰にも話したくなかったんだが、パーシーとメアリーが作品の構想を話してくれたから、もう決まっている部分だけでも話してみよう。」
バイロンは安楽椅子の上で前かがみになると両の手を組んだ。
「メアリーの話は生命を作ることができたら、という仮定の上に成り立っているが、僕の劇詩では完全な自由と完全な知識を得た人間がいたと仮定してその人間が直面する絶対的な問題を描きたい。僕の主人公はある神秘的な方法でこの世の全ての知識を取得し、巻頭で『知識の樹木は生命の樹木にあらず・・・iv[4] 。』とつぶやく。実際、彼は東欧の薄気味悪い僧房で死にかけているんだ。死は現世のしがらみからの絶対的な解放だ。つまり自由だ。しかし、僕らはなぜ死を恐れるのか、それは死がもたらすものが孤独だからだ。死はよく眠りに例えられる。しかし、僕らが死を恐れるが眠りを恐れないのは、眠りは健全な一夜が明ければ必ず僕らに友人や家族への再会をもたすからだ。死にはそれがない。死は現世のしがらみから僕たちを絶対的に解放するのと同時に僕らが心を通わせようとしている他の人間との間の係累まで断ち切ってしまう。世の中のほとんどの人間は死と眠りの類似性については考えても死と自由を並べることはない。しかし、僕の主人公は死と生の境目で死ぬことも生き返ることもままならずにこの絶対的な自由について考察しなければならなくなる。僕はドイツの偉大な作家ゲーテ翁の影響を隠したりはしない。僕のこの作品はゲーテの『ファウスト』と類似のテーマを舞台を変えて再現したものだと言ってもいいだろう。完全な知識を取得したファウスト博士は悪魔のメフィストフェレスと会話するが、僕の作品の第一幕第一場で主人公は自然に満ち溢れる精霊の声を聞く。そして精霊たちが自分の究極的な疑問に答えてくれないことに絶望するんだ。続く第一幕第二場では主人公と健全で純朴な人間、多分狩人にすると思うが、その男との間の会話が描かれる。主人公はここでも求めるものを得ることができない。第二幕以降、僕の主人公は美しい魔女の誘惑を受け、終には冥界の王アリマネスのもとに招聘されてしまう。結末はまだ考えていないんだが、究極的な自由を得ることの恐ろしさが僕のドラマツルギーの核だ。主人公と精霊、純朴な狩人、魔女などの会話で恐怖を醸成するつもりだ。僕は元より、劇詩を書いても舞台での上演は全く念頭に置いていない。朗読会よりも凝った方法では絶対公開してほしくない。言葉一つ一つの重みが僕の作品の全てになるようにしあげるから、つけ鼻をつけた怪人や金ぴかの衣裳をつけた精霊の姿なんかは必要ない。肉体を脅かすのではない、精神を襲う恐怖を言葉だけで読者にどうやって感じさせることができるか、絶対的な自由の持つ怖さを語ることができるかを考えている。どうだろう、成功すると思うかい?」
バイロンはこう言って言葉を中断するとシェリーのほうを向いた。

(読書ルームII(16) に続く)

 

【注】バイロンが構想を語った作品は完成・出版後にゲーテが激奨した「マンフレッド」である。

 

【参考】

ファウスト (ウィキペディア)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%83%88_(%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%86)?wprov=sfti1

 

マンフレッド (ウィキペディア)