黄昏のエポック - バイロン郷の夢と冒険

かわまりの読書ルーム II

【読書ルームII(9) 黄昏のエポック- バイロン郷の夢と冒険】

第一話 レマン湖の月 (一八一六年夏 スイス 9/17 )

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「その時突然、私は見た。一群れの黄金(こがね)色の水仙を。」
「湖に沿って、木の下で、そよ風に揺れて踊っている水仙を・・・。」


文学に関する意見を交換するうちにバイロンはこの「悪童」の何ものにも汚されていない純粋な知性と初々しい感性に圧倒された。シェリーは男爵であるバイロンよりも一つ下の騎士階級の出身だった。しかも、バイロンのように何代も続いた家系ではなく、シェリー家の経済的な基盤は祖父の代に築かれ、一族で始めて国会議員になったのはシェリーの父だった。権威に悉く反発するシェリーが自分の家系のことを自慢することはなかったが、バイロンのような歴史のある家系の者にはない活力が新興階級出身のシェリーには溢れているとバイロンは感じた。


文学を通じて親しみが増してきた頃、バイロンはホテル滞在中からどうにかして聞きただそうとしていたクレアに関する疑問に遠まわしに触れてみることにした。
「ハリエットとのことはどうするんだ。いつまでもこうしてメアリーと一緒に大陸をさすらっているわけにもいかないだろう。」
「メアリーは僕の理想を理解してくれる友達、そして作品の完成を助けてくれる頼りになる助手です。ハリエットは僕の妻、ただの妻です。それ以上でもそれ以下でもありません。」
「では、聞くが、ウィリアムは君とメアリーの間にできた子供。で、ハリエットと君との間には何人子供がいるんだ?」
「二人、そして彼女のお腹の中にもう一人・・・。」
「ハリエットという妻がありながら君はメアリーとも夫婦のような関係をもっている。つまり、君はトルコのスルタンのように複数の女と関係を持ちたいということだ。」
「そうじゃありません。僕は一人の人間にそんな特権を許すような制度を許せません。」
「しかし、結果として君は複数の女と関係している。」
こう言いながらバイロンは「ハリエット、メアリー、そしてクレア。」とシェリーが関係した、あるいは関係しているかもしれない全ての女性の名前を口に出して言いそうになったが、辛うじてそれらの名前を言わずに呑みこんだ。シェリーは言った。
「僕にとって、女性は常に憧れです。僕を高いところへといざなってくれる存在です。ハリエットとめぐり合った時には彼女が籠の中で歌う美しい鳥のように見えて、どうしても彼女をその籠から解放して、一緒に空を飛び回りたかったんです。」
シェリーはシェークスピアの「テンペスト」に登場する空気の精エアリエルの台詞を暗唱するくらい何度も読んだとバイロンに語っていた。シェリーはエアリエルのように自由を求めて生きたいのだとバイロンは思った。しかし、バイロンは厳しい口調で言った。
「そうしてハリエットと結ばれたのならば、一生涯、君はハリエットと空を飛んで暮らすべきなだ。」

「ああ・・・。」とシェリーは言った。
「そのことは何度もメアリーと話し合いました。僕は若くて成長途上だったんです。そしてハリエットは僕の成長についてくることができなかったんです。」
「だったら、自分が完成したと感じられるまで君は結婚すべきではなかったんだ。」

「でも、そうしたら僕は一生成長し続け、一生涯結婚しないことになるでしょう。」
「結婚してから成長してはいけないと言っているんじゃないんだ。結婚というのは制度だ。財産や名前を伝えることのできる子孫を作るための・・・。そのための基盤ができることが僕の言っている『完成』であって、何も結婚したからと言って思想や創作の上で成長してはいけないということではい。」
「僕は人間の自由を奪う全ての制度に反対します。」
「子供は親の自由を奪う。君だって今、メアリーと自由に暮らしているようだけれど赤ん坊の夜泣
きに悩まされることはあるだろう。だからと言って赤ん坊を捨てることはできない。」
「ウィリアムに対しては愛情がありますから何だって平気です。」
「だったら、君は好きな女が結婚という制度の中で君を束縛するのを我慢しなければならない。僕は自分を束縛する女は一人で十分だけれどね・・・。」
「大人に束縛されるのは嫌です。」
「結婚という制度によって僕らは一人の相手と一緒に暮らし、生活の全てを共有することを許され、また保証される。聖書のマタイ伝にあるとおり、『創造者は初めから人を男と女とに造られ、そして言われた。それゆえに、人は父母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりのものは一体となるべきである。だから神が合わせられたものを人は離してはならない。ii[2]』・・・。」
「僕は神を信じません。」
バイロンは言葉が見つからず一瞬、黙した。それから少し間をおいてからゆっくり尋ねた。
「じゃあ、君は何を信じるんだ?」
「僕が信じるのは夢とか理想とか・・・。」

(読書ルームII(10) に続く)

 

【筆者の独白】

このエントリーでのバイロンの考え方はかなり旧態然とした、と言おうか近代流だとわたしが理解している考え方です。次の第二話で(時間的にはイギリス出立とこの第一話スイス到着の前ですが)バイロンはこの考え方に対する懲罰を受けることになるので読者の皆様(特に女性の方)はご安心ください。